9月15日 晴れ。
たまたま選んだカフェは、オリンピックの予選でもあるマラソンコースに面していて、
思いがけず ランナーが真剣に走っている場面に遭遇できた。とにかくめっちゃ速い!当たり前だけど、みんな真剣で、そのことに感動した。なんかいいもの見た。

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シェア会の翌日は、さなえさん、スタディツアー参加者のまゆさん、とのミーティング。

さなえさんは、こちらの理事。

今回のツアーの通訳でお世話になったソーレンさんと一緒にお仕事をされていて、ソーレンさんのお母様でもある。

SNSで繋がり、あれよあれよという間に3人でお会いできる流れに。いい時代だなー。


デンマークをよく知るさなえさんから、更に一歩進んだデンマークの今を伺った。


わたしがスタディツアーで知ったデンマークは、


「自分の快適さを追求することが、最高のパフォーマンスを生み出し、稼げる人を育てる、そうやって国家を存続させている」


っていう国だ。

国、という側面からみたデンマーク。




先日行ったシェア会でこの話をしたところ、参加者の方から、



日本も目指すゴールは同じはずなんだけど、

選択してる方法が全然違うよね?


なぜデンマーク人は「自分の快適さを追求することが、最高のパフォーマンスを生み出す」って、気づいたんだろう?


っていう質問があがった。




さなえさんに質問してみたところ、


「うーん、そりゃまあ、自分が自分の人生をつくるからね」


ってさらっと答えてらっしゃって、しかもそんなことは当たり前で、聞くまでもないこと、っていうニュアンスも感じた。




日本にしか住んだことのない私やシェア会の参加メンバーがこの疑問を持つのは、個として生きる、という思想が日本には定着してないからなんじゃないかな?


と現段階では思っている。



だから、個人が自分の生き方の好みとして快適さを追求することはあっても、組織や集団でそれを追求している場面は見たことがない。


どちらかといえば、なんとなく蔓延しているのは、快適さを追い求めることの罪悪感の方だ。





デンマークでは小さい頃から民主主義を学び、対話の仕方を学ぶ。家庭でも幼稚園でも保育園でも学校でも。


私の問いの答えには、どうやらそのあたりにヒントがあるみたいだ。


being
be socialized
communication

ミーティングの間、この単語がよく出てきた。
デモクラシーのことも。

わたしはそのあたりの知識不足で、突っ込んで質問できなかったので、積ん読になっていたこの本を読んだりして、次回はもっとさなえさんにインタビューしたい。







一緒に参加したまゆさんの記録。
まゆさんの視点はいつも深みがあって、同じ場所で同じことを聞いてたはずなのに、新しい発見がある。




快適さを大切にするには、
自分のことをよく知っていないといけない。
自分がどういう時快適さを感じるのかを、
知らないといけない。
 
快適さを大切にするということは、
自分と仲良くすることだと思う。
 
自分の機嫌を、
自分でとれることが大切なんだと思う。
 
 
 
子どもの頃から、自分の快適さって?
と、考えさせることとは違う。
 
人はきっと本能的に、快適さを求めるものだから、
子どもの頃から、その本能を、
“許されている”という環境が大切なのだと感じる。
 
だから、
子どもの頃からそれを許されているデンマークでは、
大人になってから、
わざわざそんなこと、口に出して言わなくても、
当然のことになっている。
 
『ヒュッゲは好きだけど、
ヒュッゲのために動くのは嫌』
 
という言葉が印象的で、
また、
デンマークだけでなく、
北欧の人々は、
 
例えば、
『自分の時間を大切にしていますか?』
みたいな質問に対して
『何言ってんの?』
のような反応をする人も居るそう。


全文はリンク先でぜひ。