8月も半分が過ぎようとしています。
今日も牧場でのイベントに参加させてもらいました。
 
台風の雨雲のせいなのかめっちゃ寒い中の、
川下りデイキャンプ。
 
 
 
大人のみで下見に行き、
川を歩いているときに発見した、
いかにも何か宿っていそうな木。
 
何度来ても、
こういうのに吸い込まれるように、自分と自然の境目が無くなっていく感覚。
これは本当に貴重な瞬間で、貴重な体験だ。
 
人は1歳で自我が芽生える。
 
自分は1人でありながら、自分を認識する
みたいな、
認識する自分と、される自分がいる
というのがすごく面白い。
 
自分を手放すということもそう。
 
 
 
『自分が誰なのかに気付く』
 

ものに名前があることがわかってくると、

人にも名前があることが理解できるようになり、

自分と大好きなママは違う人間であることがわかってくるのです。

そして、自分の名前を手掛かりに、

状況や時間を超えていつもいる「自分」を認められるようになります。

「自分はほかの誰でもない、自分なのだ」とわかり、

「自分なりの心の世界」を宣言するようになるのです。

 

 
今ここにただ存在している自分と、
その自分を認識している自分が
別々のところにいて、
 
多くの人が、
自分と仲良く出来ないことから、
“うまくいかない”が生じているのではないかと思う。
 
自分の存在意義を誰かに委ねていたり、
自分が生きていていいことを誰かに丸投げしていたり。
 
私も去年はよくこんなサイクルに入り、
そんな言葉を呟き、
鬱々としていた時期があった。
 
それは、
まさに自分が自分からそっぽを向いて、
他の誰か(何か)に自分を委ねていたんだと思う。
 

『記憶力や想像力が発達することで、自分の「つもり」を意識する』

「わたしはこうしたい」「わたしはこれが好き」という意思が明確になるにつれて、

世の中の何よりも大切なものとして、自分があることがわかっていきます。

想像力や記憶力も発達していくるので、「自分はこうしたい」「こうするつもり」という

自分の「つもり」をいつまでも意識化できるようになり、自分の要求や「つもり」を通そうとします。

それこそが自我の芽生えです。

 

 

 

自然の中にどっぷりつかることで、

そんなことを感じるのはきっと、私だけではないのだと思う。