人生で誰しもが出会う人それは
嫌いな人だと思う

嫌いな人が居ないなんてよっぽどの聖人か
鈍感な人だと思いたい

今でこそ私も嫌いな人が少なくなったが
昔は世界の大半が嫌いな人で溢れていた
なんで自分は心が狭いんだと思っていた
今だって会って苦手だなぁって思う事はある

特にものごとに対するこだわりが強い時期
自己確立が進んでる時は
嫌いな人が目についたもんだ

好きな人〜
嫌いな人〜
どうでもいい人〜みたいな感じで
ぽいぽいラベリングしていた

別にそれをやっても問題はない
ずっと一生そうやって過ごしたっていい


けどこの嫌いな人キャラを
悪者でもなんでもなくて
めちゃくちゃ自然に対処できる方法がある

それには「慈悲」というとんでもない魔法を使う
私はコレを慈悲BOX🗃と呼んでいる

例えば昔の私は嫌いな人に出会ったら
うっわ!苦手、キライ!と思って
嫌いな人ラベル🏷を貼り
嫌いな人BOXに放り込み
苦手な人として認識し封印しようとした

しかし新ルールではなんと嫌いな人を察知しても
嫌いBOXは存在しない

慈悲BOXに入れるのだ

慈悲のBOXとは
その人が地球上に存在しその人らしく生きる事を
認める箱

一瞬にして好きでも嫌いでもなくなる
その人がその人で居る事を許す箱なのだ

嫌いな人を否定する事は
もの凄く簡単な事

あの人は私と違う
価値観、やり方全部違う
見てる方向がちがう
ものすごく簡単に違いを探せる
けどその違いを知ったからと言って
大前提として人を変える事は出来ない 

 

そんな権利もない

なので嫌いな人に出会っても
その人を変える事は出来ない
自分が変わるしかない

そこで登場、慈悲BOX
その人が地球でその人らしく生きることを認める

それだけだ

無理に優しく関わる必要もないし
いい人になる必要もない

ただ、その人がその人である事を認める

以上です

コレで理論上
地球に嫌いな人が居なくなってしまった
だって全員慈悲に入ってるから

その人がその人である事を認めるだけで
心の中からは闘いが消える
その人を否定する必要もないし
自分が勝つ必要もなくなるから
自分を正当化しなくなる

ただその人がその人である事を赦す
そして自分が自分であることも赦す
世界に違う意見がある事を赦す
世界に違う人が居る事も赦す
そんな感覚で世界をもう一度見渡すと 

なんて穏やかなんだ
それぞれがバランスを生きている

よく分析すると

嫌いな人というのは
自分の既成概念や思い込みのフィルターが
かかってると教えてくれる為に存在してたり

嫌いな人というのは
自分が大事にしている事を教えてくれたり
反対側からコントラストのエネルギーで
私の大事なものを見せてくれる手法なんだ 

結局は自分の中の嫌いを人に投影して
見てるだけなんだけど
その構造を分かっても止められないときもあるからねー

実は人生でいい仕事をしてくれている
キライという気持ち

私は今
好きな人
嫌いな人
普通な人
みたいなのはナイ

全員が慈悲BOXに入っていて
友達から家族、みんな全員が慈悲に入ってる

みんなそれぞれ地球でその人らしく生きてほしい

と思っている

好きな人は好きな人でいいじゃん!と
思うかもしれないけど

家族だから、友達だから好き!とかも
どうでも良くなっちゃってwww

みんなに対して
家族にも友達にもそれ以外の人にも
同じ接し方にしたいなぁと思ったから
全員に慈悲で接するようにしてる

たまに家族がムカつく人!に入る事もあるけどw
おぉ、慈悲、慈悲!
慈悲BOXをまた思い出し

みんなそれぞれその人である事をゆるそう
と思って接しています

例えばね!
私は海にゴミを捨てる人が超嫌いなんだけど
それでも
その人がその人である事を許せた日があって
ゴミを捨てる超嫌いな人を慈悲BOXにいれた

すると
そうか、この人はゴミを捨てても平気だと
思ってるだけなのか
って理解ができて 

いつかこの人がきづいて変われるその日まで
わたしはわたしにできる事をしていようと思えたんだよね

だから私は海に行くたびにゴミを拾う
以上

とってもシンプルだよね
闘いも葛藤もない

そんな平和な解決策だと思います

別に嫌いな人は嫌いでいいんじゃね?
と言われる事もあるんだけど
いいんですいいんです
それでいいんです 

でも、自分や誰かを苦めたとしたら
こんなやり方もあるよって感じで 

自分の心の中に
葛藤や闘いみたいな感覚があったりすると
それは外側に現れてやってくるから

私はなくていいって思ったって事です

慈悲BOX採用してからは
ストレスレベルが1000から2くらいに
落ち着きましたから

ちょっと書いて覚えておきたいなぁと
思いました