車中泊マスターである友人の影響を受け、人生で初めての車中泊に挑戦した。
結論から言おう。はっきり言って、最高すぎた。
これほどまでに心が満たされるとは思ってもみなかった。こんなにも素晴らしい世界が存在していたなんて。友人がどっぷりとその魅力にハマっていった理由が、一度の体験で痛烈に理解できた。
しかし、この体験が最高だったからこそ、私の中にひとつの強い想いが芽生えた。
この素晴らしい車中泊という文化を、絶対に消してはならない、と。

まったくのビギナーである以上、無知ゆえに意図せず誰かに迷惑をかけてしまうことだけは本望ではない。どんな世界にも独特のルールが存在するものだ。だからこそ、出発前に一般的に言われている車中泊のルールとマナーについて入念に勉強した。
だが、調べていくうちにひとつの重要な課題と、それを取り巻く決定的な問題に突き当たった。
どうやら 場所によっては車中泊が禁止されるケースが生じていたり、たびたびその是非について問われていたり、この文化そのものが議論の対象になっていたりするらしい。
最大の原因は何か。
それは、明確な「ルール違反」が存在すること以上に、「マナー」という曖昧な領域でお互いの主観や正義をぶつけ合い、不毛な対立や摩擦を繰り返し生み出していることにあるのではないか、と感じた。

ルールには明確な基準があるが、マナーには基準があるようでない。それがこの世の習わしだ。
例えば、制限速度60キロの道路でスピード違反をしたかどうかは、実際に60キロを超えたか否かという客観的な数値で誰にでも判断がつく。だからルール違反だと明確に言及できる。
一方で、混雑した合流地点での譲り合いや車間距離はどうだろうか。どこまで詰めれば不快な「あおり」だと感じられるか、どのタイミングで車線を譲るのが「親切」とされるかは、極端なケースを除けばドライバー個人の感覚やその場の状況によって全く異なる。人それぞれ基準がバラバラなのだ。
昔から世間では「政治、野球、宗教」の話はタブーとされてきた。人によって基準や思い入れが異なり、互いに自分の正義を主張してヒートアップし、果ては不毛な対立を生んでしまうからだ。
最近では「クマ」についての議論も全く同じだと感じる。そして、そこに「マナー」も並ぶのだと思う。
「政治、野球、宗教、クマ、マナー」これらはハナから他人に語らない方がいい。
それぞれが抱く世界観を、それぞれの世界の中だけで大切にしていけばいいのだ。

マナーに明確な基準はないし、それはルールではない。だから自分の持つマナーの物差しは、自分にしか向けられない。
その物差しを他人に向けたところで、まともなコミュニケーションなど成り立つはずがないのだ。
それは例えるなら、アメリカの子供に向かって、「なした?そんなところでオッチャンコしてたらだめでしょ。いやいやワヤだな。こんなことあんだべか」と北海道弁で語りかけるようなものだ。
どれほどこちらに愛着や言い分があろうと、共通の基準を持たない相手に自分のローカルな物差しを押し付けたところで、すれ違いしか生まれない。
国際社会では「北海道弁」ではなく「英語」が共通言語として機能しているように、どのような文化や思想、環境の違いがあったとしても一律に適用できる客観的な基準、それこそが「ルール」だ。

かつて豊臣秀吉は、全国でバラバラだった升のサイズを一つに統一することで、初めて公平な社会の秩序を作った。基準という名の物差しが揃っていない状態では、対話も建設的な議論も成り立つはずがないからだろう。
マナーや思想という曖昧な物差しで他人を測ろうとするからこそ、互いに正義を掲げながら不毛な戦争を引き起こし、結果として自分たちの愛する車中泊の場を自ら奪う結果を招いてしまうのだ。
だからこそ、私は決めた。
車中泊について語るとき、ルールについては語るが、マナーについて他人に言及するのは避ける。
そう、「政治、野球、宗教」のように。

あいつはマナーが悪いと他人に刃を向けるのではなく、マナーのベクトルは常に自分自身に厳しく向ける。
ルールは誰にも平等に当てはめられる明確な境界線だから、社会を守るために学び続け、違反があれば言及することもあるかもしれない。
けれどマナーは自分の中だけに厳格に設定する美学だ。他人に押し付けず、自分が他者に迷惑をかけないよう最大限の配慮と注意を払うための、自律の指針にする。
他人の振る舞いに腹を立てて不毛なマナー論争に加わるのではなく、公のルールを正しく守りながら、自分自身のマナーの基準をひたすら高めていく。
それこそが、この素晴らしい趣味を守るための最良の道だと信じている。

あの夜、車窓から眺めた景色と、車内で過ごした濃密で自由な時間。
あの圧倒的な体験を教えてくれた車中泊という文化を守るために、私はこれからもルールを学び続けていく。そして、自分自身のマナーのベクトルを固く内側に向け、誰よりも細心の注意を払いながら、静かにこの最高の趣味を味わい尽くしたい。
最後に、この世界に導いてくれた友人に心からの感謝を伝えたい。
ありがとう。
今はただ、人生がもう少しだけ豊かになりそうな予感に満ちている。

【今回の学び】
「政治、野球、宗教、クマ、マナー」
ルールは語るが、マナーは語らず。
マナーは自分を厳しく律するための道具とする。