貨幣のオントロジーシリーズ、いよいよ第七回になりました。


 ご感想もいただいています。

 

 

 こんな辺境ブログにアクセスくださってありがとうございました。

 あわてて補足したいのですが、貨幣の前に価格があるという立場なんですね。

 

 そして貨幣は交換の差分から発生するということが重要です。「貨幣とは〇〇」というところから考え始めてはいけない、というのがワタクシの主張の出発点だったりします。

 

 という話を枕に今回は「コンヴァンシオンとしての価格」を論じてみます。

 

 モノに数字が付与されて商品になるとはいったいどういうことなのでしょう?

 

 まずはこの漫画を見て、どのような話なのか把握してください。

 

 

 

 まず注目いただきたいのは、まず最初のコマ①。

 

 ここでは通貨が存在していない、いわゆる貨幣もない社会を想定します。

 

 このような社会が存在しうるということは、こうした本をで実証されていると言えるでしょう。

 

 

 さて上のマンガに登場する三人は、最終的にごく自然に通貨の取引を始めています。

 

 通貨の使用規則を政府が決めたわけではありません。政府はただ課税し、消防士を雇用しただけですね。しかしマンガを読むわたしたちは、2の人や3の人がどのようなことを考えたか想像することができると思います。

 

 社会に暮らす人々は、明確な規則が存在しなくても、お互いに調整するためにある種の解釈図式を合意していくかのようです。「コンヴァンシオン convention」とはこうした「行為の共通枠組み」のことなのです(とわたくしは理解しています)。

 

 コンヴァンシオンは慣行とか共有信念などとも説明されますが、最初のコマ①でもそれは存在しています。

 

 そして政府が登場しコマ②~コマ⑤のように行為することによって、コンヴァンシオンが更新されたのです。

 

 次の例の方が分かりやすいかもしれません。

 

 

 

 こちらは、ある通貨が流通していた社会に政府がやってきて、やはりコマ②~コマ⑤の行為を行うことによって新通貨を流通させています。コンヴァンシオンの更新という意味では同じことになるわけです。

 

 ちょうど先日 note で、インフレーションとは連続的なデノミのことですよねという記事を書いたのですが、いわゆる通貨のデノミも政府によるコンヴァンシオンの更新だということができるでしょう。

 

 MMTの価格理論は、価格のコンヴァンシオンにおける統合政府の役割を強調するものだと言えると思います。

 

 中央銀行が金利を引き上げると、多くの金利がほとんど機械的に上がるのはコンヴァンシオンの力でしょう。

 

 あるいは、もしJGP(職を求める人の全員を、政府が一定の給料で雇用する制度)が始まったとすれば、悪い企業にひどい条件で雇用されていた人たちの雇用条件も、JGPに近い待遇に改善されることでしょう。それもコンヴァンシオンの力であると説明することができます。

 

 実はこの事態をぴったり表す言葉が見つかっていなくて、ずっと悩んでいたのです。

 

 吉本隆明の「共同幻想」かなあ…と思っていたのですが、うん、コンヴァンシオン、ワタクシとしてはこれで行きましょう。