ちょっと間が空きましたが、貨幣のオントロジーのシリーズ、第6回です。

 

 第5回に始めたコラムの続きは?という問いは置いておいて(笑)、先に語っておきたいことができました。

 

 というのも、この記事↓を書いた後に仕事そっちのけで毎日考え続けた結果、商品とマネーについてのかなり素敵なイメージが降りてきたのです。

 

 

 この記事で提示したのがこのような図。

 

 

 

  上の記事の後、note の方でインフレとは何だろうか?ということを論じています。

 

 

 そちらでは「完全「インフレーション」のイメージ図」と称してこんな図を出したのです。

 完全「インフレーション」のイメージ図

 

 これら黒い縦の線は商品を、上下の長さはその価格を表現しています。断章97の思考を推し進めた結果誕生したのがこれからご紹介する「貨幣商品論」\(^o^)/

 

 MMT周辺の(特に日本ローカルの)議論で「商品貨幣論は間違っていて信用貨幣なのであーる!」、みたいなのありますよね。

 

 わたくしずーーーーっと、それに違和感があって、というか、この区別を言い募る人たちの言っていることがどうにも腑に落ちなくて、だからあの辺の言葉はほとんど使っていないと思うんですよね。肯定的な文脈では。

 

 その結論が出ました!答えは「正しいのは貨幣商品論だけである」。

 

 これです\(^o^)/

 

 見ればわかるでは?と思うくらい単純ですが、以下念のため説明いたします。

 

 この図はA氏とB氏が、それぞれ所有する商品を交換した結果、その互いの価値の差額分の「貨幣商品と負債のペア」がどのように発生するかを表現しようとしています。

  •  はじめA氏が所有していた商品「ア」は、交換の結果B氏の所有になる。
  •  同じように、はじめB氏が所有していた商品「イ」は、交換の結果A氏の所有になる。

 

 わが「貨幣商品論」の主張を以下まとめます。

 

  • 貨幣(マネー)は、交換において価値の低い商品を受け取った人(エンティティ)の所有物、資産(商品)として誕生する。
  • このとき、相手(価値の高い商品を受け取ったエンティティ)側に同額の負債が誕生する。

 

 ここから実にさまざまなことが論じられそうです。

 特に、マルクスの資本論の冒頭に語られるこの話。

 Der Reichtum der Gesellschaften, in welchen kapitalistische Produktionsweise herrscht, erscheint als eine “ungeheure Warensammlung”, die einzelne Ware als seine Elementarform. (MEW 23; 49)
 資本制的な生産様式が主流を占める社会において、その富は、ひとつの「とほうもない商品のあつまり」として現象し、個々の商品はその要素形態として現象している。

 これと、誰かの支出はほかの誰かの所得である、というMMTの基本テーゼを取り結ぶものとして。

 

 なぜこれを「貨幣商品論」と呼ぶかというと、こうすることによって貨幣を商品の一種として扱えるからです。

 

 図で誕生した貨幣は商品「イ」とともにA氏の所有になっており、それはやはり商品だと言ってもよいものだからです。

(というか資本論にはもっとちゃんと書いてあるのである)