かなり以前書いた文についてコメントをいただいていました。
私がにゅんさんのブログから最も影響を受け、かつJGPの必要性を感じたのはこの記事で(JGPについて書かれたものではないが)JGP導入による景気安定効果やGDPへの寄与度などを考えることは「優先度として」クソどうでもいいことで、重要なのは我々の意識を変えることなのでは?https://t.co/3ajU9iRLSd
— ルビーキャットマン (@rubycatman) September 19, 2022
この図をシコシコ作っていたことが懐かしく思い出されます。
ルビーキャットマンさんがおっしゃるように、JGPについて書いたものではなかったのですが、図を眺めていると、この図は価格形成やJGPの説明に使える気がしてきたのでちょっとやってみようと思い立ったのです。
まずは価格形成の問題から。
よく経済学などで「価格は需要と供給で決まる」と言うわけですが、そう考えるのはミスリーディングだという話をしたいと思うのです。
マルクス『資本論』第三巻,S. 199 から。
需要と供給とは実際にはけっして一致しない。または,もし一致するとすれば,それは偶然であり,したがって科学的にはゼロとするべきであり,起きないものとみなすべきである。ところが,経済学では需要と供給が一致すると想定されるのである。なぜか? 現象をその合法則的な姿,その概念に一致する姿で考察するためである。すなわち,現象を,需要供給の運動によって引き起こされる外観にかかわりなく考察するためである。
これ、どういうことでしょうか?
いまいち明確にはわからないと思います。
さて、今の時代はマルクスの原文をすぐに見ることができるので便利です。
わたくしが訳せばこの部分はこんな感じです。
Nachfrage und Zufuhr decken sich in der Tat niemals, oder wenn sie sich einmal decken, so ist es zufällig, also wissenschaftlich = 0 zu setzen, als nicht geschehn zu betrachten.
需要と供給は決して一致しないか、一致するとしても偶発的なものであり、科学的にはゼロ、何も起こらなかったと見做される。
では図を使いましょう。
この五本の矢印はこの世界から無作為に選んだ五つの商品の値段を表すとしましょう。長いものほど値段が高いと思ってください。また、この五つの商品の持ち主は全部別の人と考えてください。
商品は、それが商品である以上、どれもこれから交換されるか、交換によって入手されたものであるはずです。
さて商品と商品は互いに交換されるものですが、このときある商品Aと別の商品Bの需要と供給が一致することなんて、あるんですか? あるとしてもそれはほとんど偶然ではないですか?
これがマルクスの異議申し立てですが、もう少し説明してみましょう。
「(偶然にも一致したら)科学的にはゼロ、何も起こらなかったと見做される」とはどういうこと?
それは...下の図のようなことが、たまにはあり得るわけです。
これは科学的には何も起こらなかったと見なしてよい。
というのは、ここでB氏とE氏がそれぞれの商品を交換してしたとしても、社会的には(マクロ的には)何も起こらなかったと同じではないか!と言うことなんですね。
こういうことです。
こういう交換はむしろめったにないことのはずなんです。あったとしても「どうでもいい」。
対して一般的な交換はこうなっているはずですよ!
マスクスはそう言っている!とわたくしにはごく自然に読めるわけですが。。。
この図ではどのような交換が起こっているかわかりますよね。
B氏とD氏が、異なる価値の何かを交換したのです。
B氏は自分が持っていたイをD氏に渡しして、イよりも価値が低いエを受け取った。こういうときのB氏には、その差額を請求する権利が発生するとみんな思うものです。
そうでしょ?
同じように、D氏は自分が持っていたオをB氏に渡しして、オよりも価値が高いイを受け取っています。こういうときにD氏はは、その差額を支払う義務が生じると考えるものです。
そうでしょ?
それが債務証書として現実化し、やがてマネー(貨幣)として流通するようになるのだと。
価値は商品と商品の相対的な関係によって測られる。
マネーというものはその表れ、二次的な表象なのです。



