前回の続きを少々。

 

 
ほらね。
 
「銀行が貸付で預金を創造する」、それが「信用創造」というものだそうですが。
でも、銀行は貸出しの時に資産(貸出金、loan)と負債(預金、deposit)のペアを作っているっていうという話を「信用」という漠然とした言葉を使って「信用創造」とわざわざいう意味があるんですか?、という異議申し立てをしたいわけです。
 
あたりまえですが、引用されているキーンの元の文章に信用(credit)という意味の言葉はありません
あたりまえなんですけれど。
 

 

英語で credit creation という言葉はちょっと変な感じがします。

何故かというと、credit という名詞を用いて create の目的語とする前に、動詞の credit (信用する)があるわけで、いったいどうして create がくっつくの?ってなるからです。

 

下は、その実例↓

 

 

いったいどうして日本語圏のある種の学者ムラ?金融ムラにおいて「信用創造」という変な言葉が一定の地位を保っているかというと、前回書いた吉田暁や建部正義ら、通貨の供給の始まりは国債の発行であるとするへっぽこ学派の存在が大きいのではないかと考えています。

 

もっと言えばわたしたちの大部分が、カネに支配されている金融帝国主義の地に産まれ、そこで生き、地位を築いてきたからなんでしょうねえ。

だから「国債が通貨発行の起点である」という、理屈から考えたらちょっと変な話が逆にナチュラルなものとして脳に響くと。

 

そもそもなんですけどね。

 

金貸業って社会の隅っこの日陰でやるもんじゃないですか?

それが何か、「安定している」・「堅実」・「しっかりしている」というイメージになっているし、金融業は給料も高い。

そもそもの社会の設定があべこべになっているわけっすよ。

 

このあべこべな社会システムを子孫に伝えるべき良いものとみなすのってどうなの?ってことなんですね、MMTerが考えるのは。

 

以下は例によってこちらからモズラーの国定通貨モデルだけれど。

 

「税を納めるためにドルを必要としている人たち」と「モノを売ったり買ったりするためにドルを欲したり使ったりする人々」の関係を見よう。上で述べた、新しい通貨を持つ新しい国の例に戻る。通貨の名前は「クラウン」で、固定資産税が課されるとしよう。政府がこの税を課す目的の一つは、軍隊の創設だ。兵士の給料を「クラウン」で支払うと定めて志願者を募る。固定資産を持っている人々がいきなりクラウンを得る必要に迫られるが、そのうちの多くの人々は兵士となって政府から直接クラウンを得ようとは思わない。そうではなく、彼らは自分の持つモノやサービスを売りに出して、軍隊に参加しないで交換によって必要なクラウンを得られないかと行動し始める。固定資産を持たない人々から見ても、チキン、トウモロコシ、衣服や、散髪、医療など、多くの欲しいモノやサービスが売りに出されているということなる。モノやサービスを売っている人々は、軍隊に参加せずに税金を納めるためのクラウンを受け取りたい。これらのモノがクラウンとの交換のために売りに出されることにより、貨幣を得ようと軍に参加した人々も、必要なモノやサービスを購入するための貨幣を得ることになる。

物価は「政府が必要とする兵士数が集まるところ」に向かって調整されて行く。そこに調整されるまでは、納税者全員が税を納めるには支出総額が足りないので、クラウンが必要だけれども軍には参加したくない人々は売りに出すモノやサービスの価格を必要な金額が得られるところまで下げるか、あきらめて軍に参加するということになるからだ。

 

ここに「銀行」は出てこない。

チキンやトウモロコシや衣服や散髪や医療などとは違って、金貸しは社会に必要ではないからです。あっても政府だけで十分。

もちろん「投資家」も出てこない。

 

ただ、財政支出や徴税の事務をする人は必要です。

これはどの組織にも経理の人、出納係が必要であることと同じです。

 

だから、社会の出納係としての銀行は存在した方が良いでしょう。

また、どこかで生じる思いがけない「資金ショート」にある程度対応できるような「流動性供給」にも重要な意味があるでしょう。MMTは、もちろんこれらの機能を強調します。

 

でも、それが「貸出」である必然性はほとんどない。

むしろ、貸出は多すぎる!

 

えっと「信用創造」という変な日本語の話でした。

 

この言葉は利子所得というものが無条件で良いものである世界を前提にしている。

通貨を創造しているのは、銀行ではなく、われわれの政府、ということはわたくしたち自身だったはずなのにさ。