大した話ではない、当たり前と思われることを書く。まあ、聞いてほしい。
主語と述語を逆転させて物事を把握すると世界が広がるということが、科学の歴史でもよくある。
代表的な例として天動説→地動説を考える。
「太陽が地球を回っているのではなく、地球が太陽を回っているのだ」
これは主語と述語(太陽と月)をひっくりかえす形をしている。
ところで、こういうことをわざわざ考えようとしなければ、そもそも「太陽が地球を回っている」とすら思わない。
書き間違えではない。
「地球が太陽を回っている」と考えないだけでなく「太陽が地球を回っている」とすら考える必要がない。
近代のわれわれも、空を見上げれば「われわれの世界を太陽が回っている」ように見える。これはこれで、錯覚ではなく、まごうことなき「観測事実」だ。
やがてモノ好きな人が現れ、文を逆転させ、「あれ?われわれの世界が(私が)太陽を回っていると言ってもよくね?」という発想を発見する。このことによって、大地の「形」を初めて考えようとする動機が生まれるというわけだ。
これによって初めて地球という概念が誕生する。
「太陽がわれわれ(私)を回っているのではなく、われわれ(私)が太陽を回っている?」という逆の問いを受け入れたときに、初めて「地球」を理解することができるというのがことの順序だったのだ。
こうして主語と述語を逆転させる操作によって地球が発見されると、芋づる式に「地球と同じように太陽を回る惑星」や、太陽系と同じような星々という概念が見つかっていく。
人類はこのようにして、近代的宇宙観に辿り着いたのだというのが事の推移だっただろう。
だからこうした現代の近代的宇宙観を、「われわれの世界を太陽が回っている!これは客観的絶対事実じゃん」としている未開人に説明するのは難しい。
彼らにはわざわざそう考える動機がない。
「地球?何それ?ばかばかしい」
こうなるわけである。そんなことはしなくても天体の運行は精確に記述でき、科学的体系は成立するのだ。
さて、以上が前置きである。
未開人たちの「われわれはマネーを使って取引しているじゃん」という認識、これも同じなのである。
むろんそう考えても自由なのだが、その世界観のまま惑星や恒星たちの在り方、宇宙(我々近代人が知っている広大で”豊饒な”宇宙)全体の話には到達できるはずがないということなのだ。
このことこそがMMTの革命というか、MMT周辺の理論の革命だとワタクシは思う。そして経済学の歴史の中で、マルクスだけが明らかにこの”近代的思考”に立ったと。
以上は、昨日これを視聴した感想である。
パネルディスカッションを開催いたします!(オンライン)
— 公益財団法人 政治経済研究所 (@TheSeiKeiKen) June 23, 2022
【テーマ】
「MMTをめぐって」
【討論者】
望月慎(MMT研究者)
小林慶一郎(慶應義塾大学教授)
石塚良次(元専修大学教授)
建部正義(中央大学名誉教授)
【日時】
2022年7月9日(土)
詳細はこちらです↓https://t.co/fj8HUeEgre pic.twitter.com/M2i6UoR0Cz
小林や建部が、ちょうど、天球に張り付いた星々をそれはそれは詳しく観察する中世の天文学者のように見えた。
例えば建部が持ち出した「支払完了性」の議論。小林の言葉なら例えば「横断性条件」などなど。
対して望月は「MMTはマネーというものの把握が違う」「マネーをグラデーションとして把握する」のように説明する。
しかしそれは「われわれの世界を太陽が回っている!これは客観的絶対事実じゃん」という世界にいる、上の”未開人”たちの認識にある人々には決して届かない論法なのだ。
ワタクシに言わせれば、MMTやマルクスのマネー観はこうである。
「人間がマネーを使って取引している」ではなく「マネーは取引によって人間の意識に現れる」
たとえば。。。
- 非政府部門の純金融資産は、政府の取引によって出現する。
- モズラー家のマネーは、子が親の手伝いをした瞬間に出現する。
この認識を受け入れない者に、マルクスやMMTの世界が見えることは決してない。
パラダイムの違いというよりも、視野の問題と言うべきだろう。
支払完了性の議論は、せいぜい支払手形や買掛金のような流動負債の、預金による決済の話。でも、こちらからすると支払手形や買掛金もマネーである。
横断性条件の議論は、先立って存在するお金を消費と貯蓄のどちらに振り向けるか、と言う形をしている。そうではなく、消費や投資という取引によってマネーは初めて生まれている。
彼らにMMTを説明するなら、最初に『「人間がマネーを使って取引している」ではなく「マネーは取引によって人間の意識に現れる」と考えるわけです』と伝えるべきなのだろうと強く思う。
ところで、日本の「内生的貨幣供給論」にも「銀行はあらかじめある貨幣を貸し出すのではなく、貸借関係によって貨幣が生まれるのである」という言葉があったようである。
その思考をあらゆる貸借関係に適用すればよいだけだ。
肩叩き券というIOUが「決済」されるのは肩を叩いた時なのだ。