MMT現代貨幣理論入門という本の翻訳漏れを補うシリーズの最終回\(^o^)/
8.4は「まちがった変な思考を変える」という話題ですが、こういうことこそが大事なのよ。。。
過去記事目次
第二章 1、2、4、5
第三章 3、4、5&7
第四章 1&2、3(番外)、4、5、6
第五章 1、2
第六章 1&2、3、4、6&7、8
第八章 1、2&3、4&7(今回)
それでは!
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8.4
コラム:失業への対応は仕事を増やすことであって休暇を増やすことではない
進歩的経済学者のディーン・ベイカーが失業問題について興味深い見解を述べている。もっと有給休暇を与えよというものだ。(こちらを参照:
考え方はこうだ。雇用されている人の仕事量が減れば、雇用主は休暇を取った人がフロリダのビーチで日光浴をしている間に生産できなくなってしまうものを生産するために失業者を雇う必要が出てくるだろうというわけだ。米国の労働者の労働時間は1世紀前に週40時間に到達したところで頭打ちになったのはバカげたことだ。アメリカの被雇用者は、世界のどこの労働者よりも長時間働いている、と。
かつてジョーン・ロビンソンが喝破したように、賃金の奴隷として働くことよりも悪いことは失業だけである。 労働時間の短縮と有給休暇の増加は、人間らしい職場にしていくための進歩的な目標だ。家族、レクリエーション、芸術を楽しむ時間を増やす。自己啓発や地域社会への参加時間を増やす。そしてこうした議論の最後に来るのが、そうすれば失業者のための雇用が増えるという主張なのであろう。失業問題の治療法としての "ジョブシェアリング "は、飢餓問題の治療法としての "サンドイッチシェアリング "と同じ程度に合理的だ。
パブリナ・チャーネバの指摘なのだが、進歩派は失業以外のすべての社会問題に対して直接的な解決策を提唱している。医療へのアクセスがないという問題はどうやって解決するだろう?進歩的な人々は公的負担を提唱している。飢餓問題は?フードスタンプだ。ホームレス?公営住宅。老人の貧困?社会保障。
ところが雇用はどうか?なぜか「もっと休暇を」、なのだ。働かないことにカネを出せという。失業が報酬ということになっている。仕事にではなく失業に支出を、あるいは、もっとバカバカしくはBIG(基礎所得補償)。全員が働かないことにカネを払う。ここで忘れられているのは何だろう?仕事である。失業者がほしいのは仕事なのに、それが言われていない。
なぜ仕事ではないのか?働きたい人のために雇用創出に反対する一番よくある論法は、それはアメリカでは政治的に実現不可能だというものだ。なぜだろうか?コストがかかりすぎるからだという。推定では生活賃金を伴う雇用保証のコストはGDPの1%から3%である。それだけの支出が議会を通ることはありえないことだと主張される。ところが周知のとおり、われわれは現在GDPの10%を社会保障に支出している。その原因のほとんどは失業や、非自発的で部分的な失業や、ウォルマートのような民間の雇用主の賃金が貧困レベルである状況に対処するためのものだ。
私が狂っていると言われても構わないのだが、私が思うに、アメリカ人は、さらなる休暇のために人々に支出する案よりも、雇用に対して支出する案に魅力を感じる人の方がはるかに多いだろう。生活賃金での仕事ひとつでほとんどの社会的支出の必要性が消滅し、さらに企業への巨額の補助金や現行の税優遇措置の必要性も消滅する - なんならひとつと言わず、二つでも、となるのでは。一息で言えば、生活賃金での雇用保証は、貧困対策支出の必要性をほとんどゼロにするだけだなく、民間部門の仕事にもまともな賃金が支払われることを保証することにもなる。そして、われわれの地方自治体を困窮させるような無数の公共政策をなくす。 企業に工場や倉庫を移転するように誘導する減税や、補助金を与える必要がなくなるのだ。
もちろん、仕事の保証は簡単なことではない。 しかしそれはアメリカの価値観にとてもかなっているものなのだ。 ジョージ・レイコフは、科学に基づき価値観について興味深い見解を述べている。
認知科学者は、人が実際にどのように考えているのか、つまり脳がどのように機能しているのか、神経からどのように思考が引き出されるのか、フレーミングや比喩的思考がどのように機能しているのか、言語と思考の関連性などを研究している。しかし、他の学問分野、特に政治学、公共政策、法律、経済学、つまり進歩主義者が主として研究する政治的な分野では、その成果が利用されていない。その結果、彼らが教える理性や「合理性」についての見方は不十分なものになっている。彼らは、私たちの脳が人生の早い段階で何百もの概念的なメタファーやフレームによって構造化されているという事実や、私たちの脳は自分が許容するものしか理解できないという事実や、そして保守派と進歩派はそれぞれの脳回路を獲得しており、その結果、彼らの思考が「理性の通常モード」とは異なっているという事実を見逃しているのである。進歩派が合理的な議論と呼んでいるものは、真の理性の通常モードではない。「合理的な議論」とされているものも、進歩派と保守派で同じではない。
失業問題の解決策として保証された有給休暇を増やそうとすることは、一部の人には「合理的」に見えるかもしれないが、それは「理性の通常モード」に反している。有給休暇が増えることが、われわれのコミュニティにどのように貢献するだろうか?なぜ政府があなたの余分な休暇に給与を支払う必要があるのか?失業者はなぜ自分で仕事を見つけないのか?雇用主が私に25時間で40時間分の仕事をさせていないことがわかるだろうか?議会が所得を補填する約束を破ったら?雇い主が私よりもあなたが好きで、私がクビになり、私のフルタイムの仕事をあなたが手に入れることになったら?
ここで問題。なぜ、万人に対してまともな賃金の仕事を支援していこうという道徳的な枠組みを作ろうとしないのか?働きたい人に仕事を提供すること以上に優れた反貧困プログラムは存在しない。仕事を提供することは、配ること(hand-out)ではなく、手を差し伸べること(hand-up)だ。働くことはコミュニティを発展させる。繁栄の共有を実現する。誰もが働くとき、われわれ全員が利益を得るようになる。これはアメリカの価値観と一致していることだ。
われわれは、hand-up ではなく hand-out する半世紀を送ってきた。 hand-out は貧困を削減しなかった。貧困はむしろ悪化した。不平等はもっとだ。 失業ももっとだ。hand-out はアメリカの価値観にそぐわないではないか。hand-out には紐が付く。資格認定。 薬物検査。 子供の抑圧。 アメリカの価値観からすると hand-out は、常に貧弱な状態を保つものだった。われわれに必要なのは、仕事、イニシアチブ、自給自足、生産性というアメリカの価値観に沿うような政策なのだ。
われわれは、地域社会の構築を促進する政策を必要としている。われわれは、われわれ自身の国の主権の範囲内の政策、しかも他国が彼らの利益に反して活動する必要のないような政策を必要としてる。われわらは、進歩派か保守派かとは無関係に支持される政策を必要としている。われわれは共通の基盤を見つける必要があるのだ。
8.7
FAQ
Q: MMTは、国民の利益を念頭に置いた博愛的な政府が前提と考えている?
A: はっきり "ノー "。政府がどんなに堕落していようと民主的であろうとMMTは有効だ。それは全く別問題だ。MMTは、小さくて弱い政府を望む緊縮論者のためのものでもある。