「ウエスト・サイド・ストーリー」、見比べてみました〜 | 映画とネコと、私の好きなもの。

「ウエスト・サイド・ストーリー」、見比べてみました〜

 

 

さんざん迷って迷って、

 

でも、

見ずに否定するのもなあ〜という気持ちもあり、

 

3度目の接種も終わったことだし〜

 

というノリで、

 

行ってきましたよ、スピルバーグ版WSS!

 

 

感想を書く前に、

私がいかに61年のオリジナル版に思い入れが強いかってこと、

ちょっと語っておかなくては、ですね。

 

昔、このブログでも紹介したと思うけど、

 

私は小学6年生でこの映画を当時の丸の内ピカデリーで見て、

あまりの凄さに打ちのめされた、

多分、世界中にいっぱいいたであろう、その1人でした。

まさに、「打ちのめされた」というにふさわしい。

冒頭の音楽だけのプロローグから、

画面が変わって、当時のNYを真上から俯瞰で映し出すオープニング、

そして、

カメラが、スラムで佇む不良たちにクローズアップして、

音楽と指パッチンとステップが

やがて一体になる、あの、前代未聞の一連のシークエンスから、

あれよあれよの間に、

悲劇のエンディングを迎えるまでのこのストーリーが

一瞬にして目の前を通り過ぎていき、

終わってみれば、

え、今、私、何を見たの?

何を見せられたの?

という、

12才の少女にしては、あまりにもショッキングな体験。

こんな斬新なもの、今まで見たことがなかったのだから、無理もない。

で、その後、

どんな映画を見ても、これ以上の衝撃に出会うことはなかったと思う。

 

それぐらい、ウエストサイドは、私のその後の人生に決定的な影響をもたらした。

映画にベタベタに惚れ込んだ、まさに決定打が、12才で早くも来てしまったのだから!

それゆえ、私のこの作品に対する執着といったらなかった。

私は過去のブログでピカデリーでロングラン上映されている間に9回通ったと書いたけど

さすがにこれは記憶違いだったことがあとで判明てへぺろ

リバイバルを入れて9回通った、ということでした。

(お詫びして訂正いたします お願いm_mアセアセ

で、64年12月にブロードウェイキャストが来日して日生劇場で公演をしたときは、

2回、行っている。(これは間違いないです爆  笑

2度目は楽屋裏で出待ちという初体験まで!

最大のお目当ては、

リフを演じた(映画ではアイス役の)タッカー・スミスだった!

楽屋から出てくる役者たちには、片っ端からサインしてもらった!

 

 

↓下の写真は、我が家にあるWSS関連グッズです。

当時のパンフレット(貴重品!)、日生劇場のパンフもある。

小説も買ったし、

レーザーディスクは残ってないが、メイキング付きのDVD、ブルーレイもあります。

(昔は、ホセ・カレーラスとキリテ・カナワが吹き込み、バーンスタイン自身が指揮していたLDもあった。メイキングLDで、

カレーラスがなかなか上手く歌えなくてバーンスタインと軋轢が生じる場面もあり、実に面白かったんだけど、

もう、LDはすべて処分してしまったので、、、アセアセ

 

↓タッカーのサインだすハート

(タッカーは確か50代前半で病のため亡くなってます)

 

 

 

と、まあ、

そういう背景があるのでーー

破格級なWSSへの偏愛ゆえ、

いくら敬愛するスピルバーグでも、私は辛口で見ちゃうだろうなあ、

って思っていた。

 

でもって、

ホントにすいません、

辛口の感想しか出てこないわ。えーんショボーン

 

以下、いろいろ、ネタバレもありますゆえ、ご注意を。

 

長文ですよ〜ポーンお願い

 

 

 

 

*音楽は永遠に完璧!

 

まず最初に言いたいのは、

このレナード・バーンスタイン作曲による音楽が、

これ以上のものはないぐらい、天上のサウンドであること!

もちろん、スティーブン・ソンドハイムの詞の素晴らしさも!

 

これを使用しているだけで、映画の半分以上の成功は約束されている。

 

今聴いても、これらが1950年代に作られたものだとは信じられないぐらい、

斬新で、美しく、繊細で、躍動感に満ちていて、

聴いている人間を天国の境地へと誘う!

 

私も、この音楽がかかるたび、体や指が動くのを止めることはできなかった。

(一番後ろの席で、まわりに誰もいなかったしね爆  笑

 

音楽は、とにかくサイコーです。

ここは、文句のつけようなし。

 

ただ、オリジナルと違う順番や(ていうか、舞台版に戻っているものとか)

スケールが小さくなってしまったものもあり。

これに関しては、後で。

 

 

*リアリティの重視で失ったもの。

 

スピルバーグは今回、本物のプエルトリコ出身で、

全員、自分の声で歌える俳優たちを揃えている。

 

オリジナルでしばし言われたのは、

役者が黒っぽいメイクで出演しているとか、

歌は吹き替えだとか。

そういう部分は確かにあった。

 

しかしーー

今回のこのバージョンを見て、

リアリティの重視が必ずもミュージカルに必要だろうか、

それを考えてしまった。

 

確かに、みんな、歌はうまいと思います。

マリア役の子の歌声、とってもキレイ。

 

だけど、、、

 

ここには、チャキリスのカリスマも、

ナタリー・ウッドの目力も、ない。

 

全員、華がない、というか。。。。

 

唯一有名なアンセル・エルゴート(トニー役)も含め、インパクト弱く、魅力がない。

 

 

ジョージ・チャキリスが演じたベルナルド

 

を、今回演じるのは、

 

え、これがベルナルド?

と思わず座席でのけぞった、

ラッセル・クロウの弟分みたいな子。

 

 

マリアは、この子。

 

 

若いし、新鮮でかわいいんですが、、、

 

ナタリー・ウッドは

マーニ・ニクソンの声で歌っていたけど

(メイキングでは、ナタリーが頑張って全曲歌った音源も公開されている)

彼女の存在価値は、「声」ではなかった。

 

ラストシーンにこそ、

なぜ、ナタリーが選ばれたのか、

その意味があった。

 

愛するトニーを殺され、

ジェットとシャークの面々に、

みんなが殺した!と彼らに拳銃を向け、迫るシーン、

あれは、ナタリーの役者としての力が最大限発揮された名場面。

 

 

 

 

まさに、ここはナタリー=マリア最大の見せ場!

絞り出すような低い声で怒りを表明する演技など、

ジェットもシャークも思わずひるむほどの迫力!

このナタリーの迫真のカリスマ演技が、このストーリーの説得力を高め、

決定的な名作として、仕上げたといっても言い過ぎではあるまい。

 

この後、黒いショールをまとい、

胸をはってトニーの遺体の後に続いて歩いていく。

この場面での彼女は、

まさに聖母マリアのように神々しく、美しかった。

 

これはねー、

やっぱり新人のレイチェルちゃんには無理だったわね〜。

 

 

この2人のマリア、

ナタリーは赤で、レイチェルは青、

これもラストシーンの印象を変えてしまっている。

 

色彩でも、

リアリティを重視しすぎると、ダークな色合いが多くなるのか。

 

シャークとジェットの連中など、

衣装が全く冴えなくて、

誰も見分けつかないぐらい。

 

オリジナルでは、

赤や黄色、水色、ピンク、等々、

カラフルな色彩がいかにもミュージカル!

 

しかも、ジェットとシャーク、色でも違いが。

ジェットは黄色や赤、水色、オレンジなどが多く、

シャークは、紫や黒を基に、シックな色合い。

特にチャキリスの紫色のシャツは惚れ惚れするほどカッコよかった〜!

 

ミュージカルですもの。

リアリティよりも、夢、エンターテイメント重視なら、

いくらでも色彩はカラフルになる。

 

ジムでのダンスパーティーや、「アメリカ」の場面では、

この新版でも、黄色や赤の衣装が目立ってよかったが、

 

それでも、全体の印象としては、キラキラ感に欠けるかな。

 

 

 

 

61年版は、壁が赤色、というのも、効果的で、

みんなの衣装とベストマッチだった!

 

 

 

 

*楽曲について。

 

●オープニング(Overture)

61年版では、5分間にわたって続く楽曲のみのオープニングが当時としては斬新すぎた!

ソール・バスの天才仕事!

大体、オープニングにクレジットが出ない作品など、この映画以前にはなかったと記憶してる。

 

 

スピルバーグ版では、いきなりプロローグだった。。。

 

 

●プロローグ

NYのウエストサイドの運動場にたむろする不良たちが、

指パッチンとリズムで動き出し、歩きながらダンスを始める。

そこに敵方のシャークとぶつかり、2つのグループがいがみ合う。

61年版では、あくまでダンスの動きで表現していたが、

新版では、アクションという感じで、

あら、ミュージカルっぽくないわ〜という印象。

ここの違いが、もう決定的で、

その後の私のノリは一気に悪くなった。

 

●ジェットソング

61年版では、リフが途中で抜けて、アイスが中心に。

新版では、ずっとリフが中心にいる。

舞台も街中?なんか、地味で、印象が薄い。

 

●サムシングカミング

トニーが登場して、リフにダンスパーティーに来るよう請われてから、

トニーが、そこで何か起こるかも、と歌う曲。

61年版では、日中、お店の裏側にいる2人。ビルの谷間の小さい空間が舞台。

開放感もあり、素晴らしかったが、

今回のは、ヴァレンティーナ(リタ・モレノ)が経営している店の中のみで、

躍動感はゼロ。しかも、夜?

 

●ジムのダンスパーティー

ここでは、楽曲の流れは同じだけど、

2つのバージョンでは印象が全く違う(↑上の写真を参照してください)。

役者の顔がはっきりと見えて、

それぞれの存在感もバッチリだった61年版に比べ、

今回のは、あまり役者が立ってない。

マンボなど、曲が生かされず、かわいそう。

また、トニーとマリアが初めて会う場面も、

当時は70ミリの画面を最大限使用して、右端と左端、という構図が生きていたが、

今回のは、みんなが踊る合間から覗き合うというか、

ここの流れは違和感ありまくり。

(ついでにトリビアだが、61年版でここに登場したパーティホストみたいな男性はジョン・アスティン。

パティ・デュークと結婚して、あのショーン・アスティンのパパになった)

 

●マリア

ごめんなさい、もうアンセル=トニーのマリア、忘れちゃった。

多分、盛り上がって聴こえなかったんじゃないかな。

61年版では、リチャード・ベイマー、歌は吹き替えだったけど、

とてもロマンティックで、大好きな場面だった。

 

●アメリカ

自分たちの住まいの屋上で展開する61年版。

アニタ(リタ・モレノ)も、ベルナルド(チャキリス)も、

吹き替えでなくちゃんと歌ってます。

そして、あの驚異的としかいえない、ダンスのステップ!

人間ワザじゃないような凄すぎるパフォーマンスは、

何十年経っても、驚きと感動以外の何ものでもない!

チャキリスのスマートでエレガントな動き!モレノの信じられないようなステップ!

メイキングでは、ジェローム・ロビンスにどれだけ絞られたか、

倒れるまで練習させられたダンサーたちの苦労ぶりが語られているが、

いやあ、だからこその名場面という思い。

 

転じて、新版。

全くコンセプトが変わって、生活感にあふれている出だし。

そこから、街中での群舞に発展する。

ここは一番絶賛されているものの、

スイマセン、私は、「イン・ザ・ハイツ」にソックリとしか思えなくて。。。

 

●トゥナイト

ロミジュリのバルコニーシーンが元ネタなのは有名だが、

今回は、トニーが動きすぎて、なんか落ち着かない。

 

●ジー・オフィサークラプキ

リフが中心になって、なんでこんな悪い子になったか、

裁判シーンなどを織り交ぜて、みんなで大騒ぎする唯一のコミカルシーン。

新版では、警察内部で、こじんまりと展開。

リフも出てこないし、あまり印象に残らない。

 

●アイ・フィール・プリティ

マリアが勤めるドレスショップで、お針子たちとふざけるシーンで、

マリアのキュートさが際立つ、かわいい場面。

ナタリー・ウッドならではの華やかさがあふれていたが、

新版では、舞台と同じく、決闘の後に変更され、

しかも、デパートの売り場が舞台となる。

歌詞の合間に「らららら」とマリアが相の手を入れる部分がカットされ、

(マーニ・ニクソンの声がほんとにキュートだった)

それだけで歌の愛らしさが減少。残念。

(ていうか、ここも舞台版に戻ったということか)

 

●ワンハンド、ワンハート

61年版では、上の曲に続き、トニーがお店に現れて、

閉店後の店で、自分たちの結婚式を夢見て歌う。

ここがいたく感動的だったのだが、

新版では、NYを散歩する2人がクロイスターズか?チャペルのような場所で、

この歌を歌う。印象として、軽い、な。

 

●クインテット=トゥナイト

決闘を前にしたジェット団、シャーク団、

今宵はベルナルドと愛し合うと、お化粧に余念のないアニタ、

窓辺で歌うマリア。店で働きながら、今夜のデートを心待ちするトニー。

5つの場所で、それぞれに歌い上げるこの場面は、まさにミユージカルクライマックス!

一方の新版でも、この手法で出てくるものの、1人1人の存在感が薄いせいか、

印象が散漫、もう忘れかけている。

 

●ランブル

決闘シーン。61年版は、2つの不良グループの決闘をあくまでもダンスの動きで表現していたが、

新版では、冒頭と同じくアクションの印象が強くて、、、

ミュージカルなのになあ、という残念な気持ちが。。。

 

●クール

61年版では、シャークの「アメリカ」に対して、ジェットの「クール」と、

2つのダンスパフォーマンスは甲乙つけ難い、どちらも圧巻だった!

特に「クール」は、リフを失ったジェットの面々、混乱と悲しみの中で、

アイスが「冷静になれ!」とみんなに喝を入れる。

タッカー・スミスがブレイクした渾身のパフォ。

アクション、A-ラブ、ベビージョンらも、

リフの死を乗り越えようと足掻く様子が描かれる。

とにかく、何度見ても、痺れまくる!

 

一方の新版は、舞台版と同じ、決闘前に位置。

決闘を止めたいトニーと、決闘に燃えるリフ、あと3人ぐらいしか登場しない。

う〜ん、こう来たか、というか、、

はっきり言って、音楽の良さが生かされてなくて、勿体なかった。

 

●サムウェア

決闘でベルナルドを殺してしまったトニーがマリアの部屋に。

事実を知って絶叫するマリア。

2人が、私たちのためにある、どこか他のところに行こうと歌うこの曲。

61年版では、涙なくして見れなかったが、

この新版では、なんとオン年90歳のリタ・モレノが歌い上げる。

彼女の役柄は、旧作でお店を経営していたドクと結婚、

いまは未亡人となっているヴァレンティーナ、というプエルトリコ人。

ここは、もう、号泣しかなかったーーー

なんだろう、いろんなものが去来してしまって。

見た目70ぐらいにしか見えないぐらい、お年を召しても若々しい彼女だけど、

やっぱり、歩く姿などは、痛々しい。

歳月は、人間を確実に変えてしまう、そういう思いもあって、

涙が止まらなかったのかも。

 

 

まあ、この場面だけでも、本作を見る価値はあるかもしれない。

リタ・モレノに敬意を表してーーーハート

 

 

●ア・ボーイ・ライク・ザット/アイ・ハブ・ア・ラブ

最愛の人を失ったばかりのアニタ。マリアが部屋にいたトニーを逃したばかりと知り、

しかも彼らが一緒に寝ていたことを知って、思わず「あんな男に」と歌い出す。

オペラのような楽曲で、モレノはさすがにこれは吹き替えたとのこと。

アニタとマリアのデュエットで悲しみが盛り上がり、忘れられない名場面だった。

新版でもドラマティックな効果を上げていたけど、

説得力、ということでは、やはりナタリーとモレノの演技が一つ上だったような気がしてしまう。

 

●サムウェア

チノに撃たれ、地面に倒れるトニーをマリアが支える。

彼女は「サムウェア」の一節を歌って、彼を励ますが、すぐに息絶えてしまう。

新版では、モレノが歌っているので、ここでは使わず、

「ワンハンド、ワンハート」の一節だったかと。

 

*メッセージ性ということ

今回、リアリティが重視され、かつメッセージ性も高まったと言われているが、

それがプラスになっているのかどうか。

役柄の背景をもっと深掘りして、描写することで、必然的にセリフが増えた。

結果、歌と歌の間が長くなってしまい、

61年版にあったようなテンポが失われた感じがしている。

でもって、突然歌い出す、というミュージカルの欠点がより強調されてしまった感があり、

乗れなかった人たちは、その唐突感についていけなかったよう。

 

61年版も、メッセージ性は十分にあった。

あの作品で、既にトランスジェンダーにも注目していたし、

人種差別、人種偏見、さまざまな問題はきちんと描かれていた。

また、説得力ということでも、

役者の演技に格があるというか、

全体に格調が高くて、

安心してみられるので、

物語もストンと入ってきた。

 

 

 

 

ということでーー

 

前作と新作の違い、

勝手気儘に長々と、独断の比較検証でした〜

 

エンドクレジットで

一番最初に出てきたのが「For Dad」。

スピルバーグのダディは、いつも息子の撮影現場に足を運んでおり、

唯一、この作品だけ、それが叶わなかったとのこと。

103歳で一昨年に亡くなっている。

 

 

世界中の多くの人々が鑑賞した61年版。

その数だけ、思い出は無数にあるはず。

みんな、この映画を初めて見たときのこと、鮮やかに思い出せるんじゃないかな。

そして、

この新版を見た人たちからも、

また、新たな映画の思い出が積み重なっていくはず。

 

 

 

超長文、おつきあいいただき、ありがとうございました!お願い

 

 

 

オマケです〜

2011年、チャイニーズシアターの手形足形セレモニーに集合した

モレノ、チャキリス、ラス・タンブリンの姿。

ほんとに懐かしい〜おねがいラブ笑い泣き