私の愛読書「花々と星々と」
私の永遠の愛読書は、犬養道子さんが書かれた「花々と星々と」。

今まで何回読んだことだろう。
その度に、感動で心が震えてしまう場面がいっぱいある。
概して映画に関しても言えることだが、同じ作品を目にするとき、年をとるごとに感じる部分が変わってくる。
この本も、若いときは、主人公の「みっちゃん」の生き生きとした女の子像に純粋に惹かれていたが、私自身が母となり、私の母が老いていくに従い、読むときの視点がだんだんそちらにシフトしていって、みっちゃんのお母さんのことを思ったり、みっちゃんのおじいさんの立場で読んだり、感じ方も色々。
だから、読むたびに新しい発見と感動があって、いつまでも飽きるということがない。
この本は、犬養さん自身の自伝といえる作品。
犬養毅を祖父に持ち、維新の立役者、後藤象二郎を母方の曾祖父に、長与善郎などの長与一族や、岩崎財閥とも姻戚関係にあった、そんな特異な環境の中で、自由と個性をとりわけ愛していた白樺派作家の父・犬養健や若く純粋な母・仲子に思い切り愛されて育ったみっちゃんの子供時代が、生き生きとした筆致で描かれている。
武者小路実篤も、みっちゃんからは「むしゃさん」と呼ばれ、あの川端康成も、目のぎょっろとした若者と描写される。
岸田劉生の絵に出てくる「麗子」さんも、みっちゃんの生活の中には「普通に」登場しちゃったりするんである。
他にも、祖父犬養首相と孫文のエピソードまで登場する。
まさに日本の歴史をその目でみつめながら生きていた、一人の聡明な少女の人生の断片がそこに浮き彫りにされている。
この本が優れているのは、ひとつには、そうした日本史を飾るそうそうたる人物たちの意外な素顔やエピソードが犬養さんの知性あふれる文体で生き生きと活写されていること。
これは日本の歴史の貴重な資料でもある。
と、もう1つは、この作品の主テーマともいうべきもので、「みっちゃん」というひとりの少女の存在そのものの素晴らしさ。
みっちゃんが自由に個性豊かに育った理由として、底抜けにユニークでフリーな精神にあふれていた彼女の両親の存在を抜きには語れない。
みっちゃんのぬいぐるみすべてに「人格」を与え、犬養家に来るまでのバックストーリーまで想定し、時に声色でさまざまなぬいぐるみを演じ分けて、即興のストーリーをみっちゃんの前で演じてみせる母と父。
同年代の子と遊ぶことなく、父の文学仲間たちの輪の中に入り、その空気を体いっぱいで吸収していったみっちゃん。
いつもお金がなかった彼らだけど、そこは全員、白樺派の良家の青年たち。
お金が落ちているかもしれないと、大晦日にお金を拾いに銀座まで繰り出すなど、そのおおらかさが何とも微笑ましい。
家には、時々、シュギシャと呼ばれる男たちや壮士という荒削りの一派が押し寄せ、金をせびることがあった。
そんなとき、父はいつの間にかどこかに雲隠れしてしまい、母ひとりが彼らを相手に、たとえ日本刀を突きつけられてもひるむことなく彼らと応戦し、威勢のいいたんかを切って、退散させてしまうのだ。
みっちゃんは、「アテになるのは女なのだ。男は強そうに見えるだけで、女の半分も強かァない」とこのときに悟ったのだった。
そんな、まさに花々と星々を愛でて、幸せな時間を過ごしていたみっちゃんの回りも、時代の変化とともに暗雲がたれこめてくる。
首相である父をサポートするために、小説家から政治家へと転身する父、それに反対した母。
その頃から、家庭はかつてのおおらかな笑いにあふれた場ではなくなっていく。
その有様を心を痛めながら見つめている少女は、しかし本来の聡明さを失うことなく、その変化もしっかりと心に刻みつけて、成長していくのだ。
そして5.15事件が起こり、祖父は凶弾に倒れ、母はその唯一の目撃者となる。
コロコロとよく笑い、明るかった母の人生は180度変転し、その後は、針のむしろのような辛い運命の下に置かれることになる。
かつて大邸宅に住んでいた母方のおばあちゃま(後藤象二郎の令嬢)も、詐欺にあい、晩年は貧困の中に暮らす。
人生は何が起こるかわからない。
まさに現在の日本も、そんな状況に置かれているわけだが、たとえどんなことが起ころうと、それまで生きてきた想い出が失われることはない。
みっちゃんにとっても、かつて花々と星々を愛でて、芸術と自由を愛し、おおらかに笑いあった人生の光り輝いた時代は、けっして色あせることはない。
彼女が生きた足跡を一緒に辿りながら、人間って素晴らしい、人生って美しい、と心から感動することができる。
心のピュア度が落ちてるなと感じたら、この本を読む。
そんな人生のよき友。
ちなみに、続編「ある歴史の娘」も必読です!
↓犬養さん。これはお幾つのときかしら。
現在、90歳でご健在です。。。。


今まで何回読んだことだろう。
その度に、感動で心が震えてしまう場面がいっぱいある。
概して映画に関しても言えることだが、同じ作品を目にするとき、年をとるごとに感じる部分が変わってくる。
この本も、若いときは、主人公の「みっちゃん」の生き生きとした女の子像に純粋に惹かれていたが、私自身が母となり、私の母が老いていくに従い、読むときの視点がだんだんそちらにシフトしていって、みっちゃんのお母さんのことを思ったり、みっちゃんのおじいさんの立場で読んだり、感じ方も色々。
だから、読むたびに新しい発見と感動があって、いつまでも飽きるということがない。
この本は、犬養さん自身の自伝といえる作品。
犬養毅を祖父に持ち、維新の立役者、後藤象二郎を母方の曾祖父に、長与善郎などの長与一族や、岩崎財閥とも姻戚関係にあった、そんな特異な環境の中で、自由と個性をとりわけ愛していた白樺派作家の父・犬養健や若く純粋な母・仲子に思い切り愛されて育ったみっちゃんの子供時代が、生き生きとした筆致で描かれている。
武者小路実篤も、みっちゃんからは「むしゃさん」と呼ばれ、あの川端康成も、目のぎょっろとした若者と描写される。
岸田劉生の絵に出てくる「麗子」さんも、みっちゃんの生活の中には「普通に」登場しちゃったりするんである。
他にも、祖父犬養首相と孫文のエピソードまで登場する。
まさに日本の歴史をその目でみつめながら生きていた、一人の聡明な少女の人生の断片がそこに浮き彫りにされている。
この本が優れているのは、ひとつには、そうした日本史を飾るそうそうたる人物たちの意外な素顔やエピソードが犬養さんの知性あふれる文体で生き生きと活写されていること。
これは日本の歴史の貴重な資料でもある。
と、もう1つは、この作品の主テーマともいうべきもので、「みっちゃん」というひとりの少女の存在そのものの素晴らしさ。
みっちゃんが自由に個性豊かに育った理由として、底抜けにユニークでフリーな精神にあふれていた彼女の両親の存在を抜きには語れない。
みっちゃんのぬいぐるみすべてに「人格」を与え、犬養家に来るまでのバックストーリーまで想定し、時に声色でさまざまなぬいぐるみを演じ分けて、即興のストーリーをみっちゃんの前で演じてみせる母と父。
同年代の子と遊ぶことなく、父の文学仲間たちの輪の中に入り、その空気を体いっぱいで吸収していったみっちゃん。
いつもお金がなかった彼らだけど、そこは全員、白樺派の良家の青年たち。
お金が落ちているかもしれないと、大晦日にお金を拾いに銀座まで繰り出すなど、そのおおらかさが何とも微笑ましい。
家には、時々、シュギシャと呼ばれる男たちや壮士という荒削りの一派が押し寄せ、金をせびることがあった。
そんなとき、父はいつの間にかどこかに雲隠れしてしまい、母ひとりが彼らを相手に、たとえ日本刀を突きつけられてもひるむことなく彼らと応戦し、威勢のいいたんかを切って、退散させてしまうのだ。
みっちゃんは、「アテになるのは女なのだ。男は強そうに見えるだけで、女の半分も強かァない」とこのときに悟ったのだった。
そんな、まさに花々と星々を愛でて、幸せな時間を過ごしていたみっちゃんの回りも、時代の変化とともに暗雲がたれこめてくる。
首相である父をサポートするために、小説家から政治家へと転身する父、それに反対した母。
その頃から、家庭はかつてのおおらかな笑いにあふれた場ではなくなっていく。
その有様を心を痛めながら見つめている少女は、しかし本来の聡明さを失うことなく、その変化もしっかりと心に刻みつけて、成長していくのだ。
そして5.15事件が起こり、祖父は凶弾に倒れ、母はその唯一の目撃者となる。
コロコロとよく笑い、明るかった母の人生は180度変転し、その後は、針のむしろのような辛い運命の下に置かれることになる。
かつて大邸宅に住んでいた母方のおばあちゃま(後藤象二郎の令嬢)も、詐欺にあい、晩年は貧困の中に暮らす。
人生は何が起こるかわからない。
まさに現在の日本も、そんな状況に置かれているわけだが、たとえどんなことが起ころうと、それまで生きてきた想い出が失われることはない。
みっちゃんにとっても、かつて花々と星々を愛でて、芸術と自由を愛し、おおらかに笑いあった人生の光り輝いた時代は、けっして色あせることはない。
彼女が生きた足跡を一緒に辿りながら、人間って素晴らしい、人生って美しい、と心から感動することができる。
心のピュア度が落ちてるなと感じたら、この本を読む。
そんな人生のよき友。
ちなみに、続編「ある歴史の娘」も必読です!
↓犬養さん。これはお幾つのときかしら。
現在、90歳でご健在です。。。。
