叔父の想い出 | 映画とネコと、私の好きなもの。

叔父の想い出

今日は、母の一番下の弟にあたるT叔父の告別式だった。

親戚一同、仕事は邦楽師なので、T叔父も大鼓(おおかわ)を演奏していた。
私は幼い頃から、祖父や叔父たちが出演している歌舞伎や、長唄の会、日本舞踊の会などをよく見に行っていた。

ある夏休み、祖母と2人で新橋演舞場の夜の部を見に行ったときのこと。
多分、私は中学生か高校生。
確か、「十六夜清心」がかかって、その後に「勧進帳」だった。
お囃子は、祖父やT叔父、その兄のH叔父などが出ていた。
祖母は「勧進帳」が終るや、すぐに私の手をとって、さあ、帰ろう,帰ろうと私を急かした。
他のお客さんはそんなに急いでない様子なのに、おばあちゃんってせっかちなんだからと思いながらも祖母に従って、家に帰った。
彼女が家路を急ぎたかったのは、演舞場で、祖父の仕事関係の知った顔に会うのが苦手だったから。
祖母にはそんな社交下手な部分もあった。
夏休みなので、私はひとりで青山の祖母の家に泊まっていた。
で、夜も更けて、まだ祖父は帰ってこない。
そろそろ寝なくちゃと思っていたとき、茶の間のガラス窓がするっと開いて、隣に住むT叔父が帰宅がてら、顔を出した。
で、多分、祖母と一言二言会話を交わしたあとの言葉だと思うのだが、叔父が
「なんだ、帰っちゃったの?あのあと、まだ続いてたのに」
と言って笑ったのだ。
祖母は(もちろん私も)、「勧進帳」が中幕だということを知らなかったのだ。
あの後にまだ「十六夜清心」の続きがあったというわけ。
どうりで、お客さん、帰らなかったわけだわ。
(しかし、「中幕」という演目の並び方を経験したのは、後にも先にもあのとき1度きりだった)
あのときの叔父のちょっと呆れたような、でも、まあ、仕方ないな、といったような笑顔がまだ脳裏に刻まれている。祖母の早とちりの性格を息子は知り抜いていたから。
私は、おばあちゃんたらと、祖母のまぬけな行動を笑い、
祖母は祖母で、また屈託なく、自分がやってしまったことを
「しょうがないね、わたしゃ」といった感じで、笑っていた。

あのときの幸せな空気を、私はいつまでも忘れない。
祖母は既に亡く、そして叔父も逝ってしまった。
でも、想い出は永遠に心の中で生き続ける。

晩年の叔父は、脳梗塞で倒れて、ずっと介護が必要な体となってしまった。
大鼓を打てない体となって、仕事もできず、悔しかったことでしょう。
でも、私たちは、叔父の輝いていたときのこと、ずっと覚えています。

今頃は、天国で母と再会を喜んでいることでしょう。
ご冥福を祈ります。

(↓祭壇に飾られた大鼓です)
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