生まれた場所。。。 | 映画とネコと、私の好きなもの。

生まれた場所。。。

ここはどこでしょう???

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正解は、南青山6丁目にある、クロムハーツトーキョー。

実は、10年前まで、私の実家があったところ。
私が生まれた頃は、港区赤坂青山高樹町3番地、という長ったらしい地名でした。

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60年も昔の青山のお話を少しーー

あの当時は、青山も原っぱがいっぱいで、水たまりにはミズスマシとかゲンゴロウとかも泳いでいたの。
当時、青南小学校があった通りは(今は高級ブランド店がズラリ並んでいるけど)、それこそお屋敷通りで、大きな家がいっぱい立ち並んでたわ。
いちばんのお気に入りは、アメリカ映画に出てきそうな素敵な白いおうち。それがジャズ評論家の小島正雄(この名前、何人の人が今知ってるかなあ?)の家だってことを教えてくれたのは、母だったかしら。
彼はとてもアメリカナイズされた素敵なダンディだったので、家を見て、さすがって感心したし、こんな家、とても私は住めないだろうなあって思ってた。
ほんと、今もそれって叶ってないわ。。。

我が家は根津美術館のすぐ近くだったけど、子供だった私は、大人たちが口にする「根津さん」のこと、完全にフツーの家だと信じてました。
そして、「根津さん」の庭には底なし沼があって、そこで子供が溺れ死んだというまことしやかなウワサまで流れたりして、ウブな私はそれを完全に信じちゃった。
当時、私にとって根津さんは恐怖の代名詞だったの。

青山通りには、その頃から紀ノ国屋スーパーがあったらしいけど、私たちが買い物するのはそんなシャレた場所じゃなくて、近所の八百屋やお肉やさん、魚やさん。
お豆腐やさんは独特の笛を鳴らしながら、夕方になるとやってくる。焼き芋やもよくやってきた。

家を出て1つ曲がると都電が走っている通り。今の「骨董通り」です。
あの頃は都電の線路が道の真ん中にあり、頻繁に都電が走っていたの。
渋谷に行くときは、都電かタクシーと決まっていて、母は何かというとすぐにタクシーを拾う人で、渋谷や銀座の映画館とかは、タクシーで行ったもの。
なつかしいなあ。

これから、少しづつ、幼少時代の東京のことや、邦楽師という家業についても、お話していきたいと思ってます。。。