(今回は朝日新聞。前3つは読売新聞の記事を見て思ったこと。)


COPの対立構造が変わった。


EUの姿勢に途上国グループが同調したのである。

対するのがアメリカと中国。

正式な国際会議ではかつて見た事のない、面白い構造だ。




2012年末に期限が切れる京都議定書について、延長か新枠組みかが争われる。

延長の場合、アメリカや中国は温室効果ガス削減の義務がない。

しかしこの2ヶ国が排出量の大半を占めているのだ。

米国と中国は義務を負いたくない(=京都議定書の延長が好都合)という立場で同調する。

一方EUは、米国や中国も義務を負う新たな枠組みを提案している。新

枠組みに米中が入ることを条件に、京都議定書の延長を認める考えだ。

ここに途上国が同調したのである。




日本は、京都議定書の延長により、温室効果ガス削減の義務が継続することを避けたいという立場となる。

それで新枠組みの早期制定を主張しているのである。

ここからどう動くか。

おそらく日本は、新枠組みでより負担が軽減されることを望む。

アメリカも中国も、義務を負うことになれば経済に影響が出るのは避けられない。

最低限の義務で妥協させようとするだろう。

一方、多数派であるEUや途上国は、そのような国に対して比較的強気な態度で挑むことが予想される。



この記事は、議論が紛糾していると報じている。

今後いかなる展開を見せるか、気になるところである。

記事にもある通り、アメリカが交渉に参加していることは注目すべきことだ。

これはアメリカも枠組みへ参加する意思がある程度は存在するということだ。

議論が長丁場になることは予想されるが、自国の利益だけではなく、人類やその他の生命体にとって有効な枠組みを模索してほしい。

ロシアの不正投票に抗議するデモ。

この動きは、インターネットを介して広がったという。

この事件は、インターネットの可能性と危険性を示唆していると感じた。



まず可能性。政治に関心がないと言われる若者が、インターネット上の話題に飛びつき、デモに参加する。

ここから政治への興味・関心が高まる可能性がある。中には単に面白がって参加する若者もいるかもしれない。

実際にデモに参加したことのある中国人留学生によると、有り余るエネルギーを発散したいという動機でデモに参加する若者もいる。動機は何であれ、政治参加へのきっかけとなることに意味があるのだ。

そこにインターネットが大きく寄与する可能性がある。

インターネットは若者のコミュニケーションツールである。

インターネットで提起される問題は、若者世代に広く拡散するのだ。



しかし、インターネットの危険性も無視できない。

この事件は、インターネット上に不正投票の現場を撮った動画を証拠として起きたものである。

政府は、この動画がでっちあげだと主張する。今の時点では動画が本物かどうか不明だ。

ただ、インターネット上の情報が人々に大きな影響を与えていることは間違いない。

偽物だとすれば、何万人もの人がインターネットに翻弄されたということになる。


インターネットは便利だ。政治参加へのきっかけづくりという一定の有用性もある。

しかし、情報の信ぴょう性には十分な注意が必要だ。

一人ひとりがきちんと見極める能力を養わなければならない。


「礼あるところに信頼あり。」

国会の劣化という内容の記事があった。

数年前までは議長が本会議室に入ると議員は全員起立していたそうだ。

今の国会は野党の議員は着席したままで、与党の議員でさえ席を離れて世間話をしている姿が見られるという。



これではまるで学級崩壊した小学校の教室だと言われても反論できないのでは。

秩序どころか、マナーさえない。

立法を任せられている国会に秩序がないのに、社会に秩序を与えられるのだろうか。

国会議員は、国のことを懸命に考えていると胸を張って言えるだろうか。

中にはなんとかして日本を良くしようと奮闘している議員もいるかもしれない。

しかし、今の国会を見た国民は、彼らに日本を任せられるとは感じないだろう

例えば、与党議員の問題発言ひとつで野党議員はここぞとばかりに批判し、辞任を求める。

自分が所属する党の権威しか頭にないように思える。

日本全体の利益を心から思うならば、辞任という形で責任を取ることではなく、責任を果たすことを求めるべきだ。

辞任すれば政治が混乱するだけである。

後任の政治家が前任の政治家よりも優秀とは限らない。



第一に日本全体の利益を考えるのが国会議員だ。


国会での礼義ある姿で国民の信頼を得られるならば、実践すべきであろう。

議長が入ってくるときに起立する習慣を復活させようと言っているのではない。

ただ相手を思いやる姿勢、日本を懸命に考える姿勢が見たいのである。