福島原発事故について、「事故は収束した」と政府が発表した。
応急処置であるステップ1、本格的処置としてのステップ2が完了した。
3月15日の爆発から今日までかけて、未知の事故をやっとのことで抑える事ができたのだ。
ここから次の「解体」の段階に進むことが出来る。


 まだ事故は続いていたのか、という単純な感想を抱いた。
ここまで時間がかかるのは、未知の科学に手を出す事の危険性を示している。
もともと原子力エネルギーは、研究が完了している分野ではない。
とはいっても世界中で、安いコストで多くのエネルギーを取り出す事が出来る便利なものとして研究が活発になっていたことは間違いない。
こうして世の中の需要が高まり、安全性や廃棄物処理について完全に調べ尽くされる前に実用化してしまったのだ。
放射線が人体に与える影響、災害時の耐性、安全性など、あらゆることが解明されていない分野。

今回の震災と事故の後、政府や東電の主張が右往左往し、専門家の間でも議論が分かれていることからも、これは自明のことである。
今日の記事でも、東電の幹部が「未知の分野で作業計画通りに進む事はほとんどなかった」と話している。
未知のものを使い方も知らずに使ってしまった。
さらに使い方を誤って、取り返しのつかない被害を出してしまった。
子供がおもちゃで誤った使い方をするのとは訳が違う。
被害が尋常ではないのだ。
それも予想できていたはずなのに、と今さら嘆いても遅い。


 今回の事故は、原子力発電を許容してきた日本全体の責任だと思う。
今後も手探りの作業が続いていく。
日本全体で真摯に取り組むべき試練ではないだろうか。
原発自体の見直しというレベルから日本の電力がどうあるべきか国民全員で議論していく必要がある。

(読売1面)
 読売新聞の連載、「列島再生」。
日本の高齢化の問題が東日本大震災で浮き彫りになったという記事だ。高齢化が深刻な課題だという事を改めて実感した。
 
高齢社会の試算を調べてみると、面白いものを見つけた。 


 村には、15歳未満のこどもが13人、生産年齢人口である15歳~64歳未満が64人、そして23人の  高齢者(65歳以上)がいます。
 いま、高齢者の割合が4.3人に1人です。
 60年前には20人に1人、40年前は14人に1人、16年前は7人に1人でしたので、村が急速な高齢化を とげたのがわかります。
 また、高齢者のうち、約半分の11人が75歳以上の後期高齢者です。

 15年後、村は94人に減ります。
 しかし高齢者は29人(3.2人に1人の割合)と、更に高齢化が進みます。
 しかも高齢者の半数以上の17人が後期高齢者です。
 45年後、村はついに71人となります。うち29人が高齢者です。
 高齢化は2.4人に1人の割合まで進み、その6割以上の19人が後期高齢者です。
 ちなみに生産年齢人口は36人、こどもに至っては6人となっています。
   (引用 http://www.jafp.or.jp/knowledge/column/090.shtml)
 

『世界がもし100人の村だったら』風にしたものだ。
この筆者は、計算には誤差があるものだが、日本の高齢化は確実だと断言する。
高齢化、都市部への人口集中、農村の過疎化。
派生する様々な問題も視野に入れた対策が必要となる。
高齢者が生活しやすい居住地を選ぶなら、それは都市部へ集中する。
都市は人口が多く、財源確保が容易な為、社会保障も充実しているのだ。
それだけでなく、交通の便・店の豊富さ・仕事の見つけやすさなど、多くの面で充実した環境なのだ。


 福岡に暮らしていて感じるのは、関東との圧倒的な政治・経済・教育環境の差。
就職活動をしていてより強く感じるようになった。
政治経済が関東に集中するから、人は関東に集中する。
優秀な人や教育機関も集中する。
就職のためのサークルや講義も充実しているということを最近知った。
それで私は関東の大学を選ぶべきだったと後悔していた。


 私自身が都市部への人口集中の典型的なパターンだったのだ。
そうはいってもやはり、関東と九州では政治経済や人材の面で見ると九州の方が質が劣ると思わざるを得ない。
新聞を読んでいても、地方紙よりも全国紙の方がしっかりとした取材がなされていると感じる。
必然的にそうであるのは確かなのだが・・・。


 都市部への人口集中と郊外の過疎化を避けることができ、各地の年齢層が均等となることが理想だ。
そうでなければ、国民全員が主要都市(東京・京都・大阪・名古屋・福岡・札幌)に集中するしかない。
これはよっぽど交通が発達しない限り、不可能だろう。
もしくは流通。
流通や運搬、そしてインターネットによる取引や意思伝達が発達すれば、過疎化が進んでもどうにかなるかもしれない。
家にいながらインターネットで買い物をし、インターネットに体の状態を書き込む事で診察を受ける、なんてことが出来るなら・・・。

一人暮らしの老人がそのような生活をしている姿が目に浮かんだ。
このような将来も近いのかもしれない。
しかし、果たしてそれが幸せか。


今回は思った事を思ったままに書き連ねるだけになってしまった。
この連載に注目し、今後ゆっくり考えていきたい。

(まとまりのない文章、お許しください><)
(朝日新聞2面)


「最終合意の木づちの音が響き、会場が拍手に包まれたのは空が白み始めた午前5時過ぎ。京都議定書の削減義務延長と、新体制を2015年に採択し、20年以降の発効を目指す事が決まった。」


 最終合意直前の休憩。
これは、各国が自由に議論できるようにするための議長の判断だ。
各国が議場の中心に集まり、具体的に議論した。
紛糾していた議論は終息へ向かったのだ。


 私の頭の中のイメージは、2011年8月に参加した模擬国連関西大会。
国連での議題を大学生が本格的に議論するものだ。
東京で20年、関西では15年弱の歴史があり、模擬といっても運営はかなり整備されている。
私は「情報社会の発展」という議題の会議に参加した。
そこでも議論は終着点が見えず、議論のリードを努めた国が最終決定を放棄してしまった。
というのも、複数の決議が出る事になりそうだったからだ。
結果、3本の決議が過半数の合意を得て可決してしまった。


 このような合意は、説得力を持たない。
全会一致でひとつの統一した決議を出す事が望ましい。
模擬国連では時間の制約もあるので、仕方ないとも言えるかもしれない。
COP17では長い議論となったが、ここでの決議は今後の議論を進める大きな柱となる。


白みがかった空から、太陽の明るい光が見えてくることを期待したい。