こんにちはEricaです!!

やっとやっと体調戻ってきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

観念の続きですね。

 

 

 

観念の記事を書くにあたって、

何年も前に電子書籍で買った

「バシャールの未来は選べる」

を何度も読み込みました(^^♪

 

 

 

この本、一回読むだけじゃ

さらっと読めるから

大事なポイントをスルー

してしまいます。

 

 

 

 

 

では、前回の続きです。

 

「あれ?これは私が悪いんじゃね?」

っと車を運転してるときに気づき

すべての物事が点と点が線でつながりました。

 

 

 

 

まず過去から、

 

20代の私はいわゆるお局という人に

苦労していました。

職場をやめても次の職場・・・

人を変えて現れました。

 

なんか声がかけずらい、話しかけづらい

気を遣う、仕事の話を聞きずらい、

どんなご機嫌だろう?

 

とやっていました。

 

 

 

 

そして30代になったら、

お局という人がいなくなり

今度はその役割を反転していました。

 

私がなんか声かけづらい人

話しかけづらい人、気を遣う人に

なっていました。

やりたくてやっていたわけではないんですよ( ;∀;)

 

 

 

 

そして、いつも悩ませてくる存在が

後輩として人を変え何度も現れました。

 

 

なんでこんなこともわからないの?

ちょっと聞いたらスムーズに仕事ができるのに。

自分の仕事が終わったら終わりなの?

 

イライラして頭の中のおしゃべりが

止まりませんでした。

 

 

 

結構悩みの種で何かあるんだろうなとは

思っていました。

 

 

 

 

そして気が付きました。

 

 

 

自分が無価値観を持っていること

人のご機嫌を窺っていたこと。

 

 

これこそが観念

間違った思い込みでした。

 

 

 

 

本当は人のご機嫌なんて伺いたくなかった。

どんな人ともフラットに接したかった。

 

 

 

 

 

でも、

私が人のご機嫌を窺っているとき

 

自分が嫌い。

自分の存在でちっぽけ。

何の価値もないと思える。

 

 

そんな風に思っていたんです。

 

 

 

 

 

 

何が言いたいかというと、

 

私は人のご機嫌を窺う

ということを手放したい

 

という願望があった(無意識に)

 

 

 

 

 

それを手放すために周りの人が

あの手この手で気づかせてくれようとしていた。

 

 

現実を使って

 

 

 

 

 

そして、私が気付いたから終わったわけです。

イライラさせる後輩と話しても

何も感情が騒がなかったし

それまで、気まずいとさえ思っていたのに

そんな感情もわきませんでした。

 

 

 

 

 

まとめると、

 

 

人のご機嫌を窺う。

自分の存在がちっぽけ、

無価値だと思える。

 

その先にはお母さんのご機嫌を

窺っていた自分がいた・・・

 

 

ということなんです。

 

 

 

 

人の観念て複雑ですね。

多分あまり理解できないかもしれないです。

 

 

 

 

 

なにか参考になればと思い記事にしてみました。

 

 

 

 

 

 

 

Erica

 

 

 

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