小林麻央さんの訃報に

日本中が悲しみと

麻央さんの温かさに包まれたことと思います。

 

現世のこと、人の体・・・

わからないことの方が多いですので

軌跡が起こることを願っておりました。

 

 

私は学生の頃に

父をがんで亡くしました。

 

ガンという病は

当時は本人に「告知」するということはなく

まずは家族にガンであること、

余命を告げること、が普通の時代。

本人に告知するか否かも家族にゆだねられていました。

 

未だに母と、告知したほうが良かったのかなと

話すことがあります。

 

 

そして、ガンは治らない病気でした。

 

風邪一つひいたことのない父。

今朝、普通に仕事に出かけていったのに

長くても、余命あと3カ月・・・

目の前真っ黒になりました。

 

ニュースキャスターの逸見政孝さんが

ガンであることを公表されてから

少しずつ、告知する病気となり、

医学の進歩から

治らない病気から、治ることもある病気に。

 

その後、ホスピスや緩和ケア

という選択肢も出来るようになりました。

 

 

がんが進行するにつれ、

食事が食べられなくなり、

歩くことも立つこともできなくなり、

父がトイレに行くときは、車いすに乗せて付き添い

それも出来なくなると

し便に用を足してもらいました。

それも難しくなるとオムツ。

 

父の年齢は、今の私の年齢とさほど変わらなく、

父親としても、社会人としても、夫としても

現役バリバリの年齢。

 

こんな姿になってしまった自分が情けないと

まだ10代の私がし便を片付ける姿を見て

父は1度だけ弱音を吐いたことを

昨日のことのように覚えています。

 

主治医が「相当の痛みがあると思います」

とおっしゃられる程の強い痛みがあっても

痛がる様子を微塵も見せなかった父が

一度だけ話した弱音でした。

 

ですが、どのような姿でも奇跡を起こして

ずっと生き続けていてほしいと

家族はそう願うものですね。

 

父親としても、夫としても、

仕事を任されている人としても

全てが心残りだったはずの父。

 

明日、何が起こるか分からない。

普通でいられることは、奇跡である。

 

 

その時から、明日何が起きても

悔いのない人生にしようと

そう心に誓ったものです。

 

身をもって最期まで

いろいろなことを教えてくれた父親でした。

 

image

 

心の痛みに耐える辛さを

そばでずっと見続けていた海老蔵さんをはじめ

ご家族の方の想い。

 

母が、

「親を見送る辛さよりも、伴侶を見送ることの辛さ」

を口にしたことがありました。

 

家族になった人にしかわからない想いと決意。

 

昨晩は、当時のことを思い出した夜でした。

 

 

麻央さんのご冥福を心よりお祈りしております。