4号機の燃料取り出し開始とか、大飯の活断層再調査(なのに稼動を急ぐ関電)とか、
いろいろ気になるニュースが出てますが。
そちらは置いておいて、少しいじめの事を考えて見ました。
今、僕の手元に一冊の本があります。
『教育をめぐる虚構と真実』マル激トーク・オン・デマンドⅣ (2008・春秋社)
困った時のマル激。
おなじみ神保・宮台両氏による、ビデオニュースの書籍化です。
それぞれゲストを招いた6つの対談が収録されており、その中の一つがまさに「いじめ問題」なんです。
『いじめをなくす処方箋』 ゲスト:内藤朝雄(社会学者)
要点だけ簡単に引用した後、個人的な意見を書こうと思います。
本書の内容が気になった方は、ぜひ全編目を通してみられるのをお勧めします。
キーワードは「共同体主義」です。
★共同体の押し付けとマスコミの問題
内藤氏は言います。
●生徒達は学級という狭い場所の中でベタベタした共同体を押し付けられ、暴力や精神的被害を受けても
逃げる事が出来ない。
●また暴力をふるわれても学校内部の論理で処理され、警察や裁判に訴える事が出来ない。
●マスコミは一時的に取り上げて一種の祭りが起こるが、祭りが終わると何も言わなくなる。
しばらくすればまた祭り、という風に定期的に「いじめ祭り」が起きる形。困った事には、祭りが起きる
きっかけはいつも自殺である。
●マスメディアで発言する識者の選択基準が余りにひどい。
きちんといじめを研究している人に声がかからず、不良から更正して先生になった人や、
普通の人では出来ないような人生行路を辿った熱血漢を登場させる。
そして「死ぬな!」と呼びかけたりして、いじめをどんどん「こころ」の問題、「自殺するかしないかの問題」
に誘導していく。
★教育現場の神聖化
内藤氏と宮台氏は、いじめ問題に警察を介入させる必要を説きます。
●なぜ学校には市民社会のルールが適用されないのか?市民なら当然利用出来る筈の、警察・司法の
呼び出し線が、なぜ学校では使えないのか?左翼的立場の人ほど、警察・司法の介入を嫌がる傾向。
共同体の神聖化によって、通常の市民社会の論理が解除された例が次の事件。
●「マグダレン修道院事件」・・・1993年、アイルランドの修道院で100体以上の収容者の遺体が掘り起こされた
事から、収容者に対するさまざまな性的・精神的・肉体的虐待が明らかになった事件。
★「右も左も全体主義」の日本
内藤氏によれば、右翼のみならず左翼も「共同体を苗床にした全体主義」が大好きなのが日本。
宮台氏は日本の右翼・左翼を次のように定義します。
右翼・・・「崇高なる精神共同体への所属をもって尊厳と為す思想」
左翼・・・「温かい感情共同体への所属をもって尊厳と為す思想」
どちらも、社会の(国家からの)自立=中間集団(学校含む)的相互扶助=社会的包摂、とは異なる。
むしろ精神共同体や感情共同体を、単に感情的安全を支えるホームベースと見なすような行為態度を
教育によって養う事が必要。
★いじめは日本固有のものか?
内藤・宮台両氏は「社会的メカニズム」に目を向けます。
日本にしかない現象があったとしても、それが「国民性」であるとするのか、それともある種の
社会的メカニズムが日本だけに見られると理解するかで、意味が全く異なる。
「仲間はずれ」の問題にしても、別の所で仲間がいれば、さしたるいじめにはならない。しかし他に行き場が
無ければ、排除されれば終わりの為「仲間はずれ」がいじめになる。
単一帰属の文化なのか多重帰属の文化なのかによって、いじめになるかどうかが変わる。
だからこそ、排除されたら他に行き場が無い環境という意味で、日本の学校は他国とは違った傾向がある。
宮台氏によると、
●日本のいじめは中学校で激増する(2005年では小6で1637件→中1で5967件に)。
この傾向はOECD諸国では日本に顕著であり、他の加盟国では小5・6をピークに中学校になると著しく
下がる傾向。
●欧米諸国では、子供が第二次性徴以降になると「小さな個人」「若葉マークの市民」として扱う。
しかし日本では真逆。厳しい上下関係・頭髪の丸刈り・制服の強制など、本来なら市民的に扱うべき所を
反市民的・身分的な共同体関係の方を強烈に強めてしまう。
中学校の制服は外科医の白衣のような機能的意味は無く、身分的従属を示す為のもの。
(故に、中学校から子供が急にストレス環境に置かれてしまう)
●中3になるといじめの件数は急減する。これは受験勉強という業績主義・能力主義的なものが強くなる為、
共同体から距離を置く事が出来るから。故に、詰め込み教育がいじめの原因と言うのは間違い。
共同体の人格支配のほうが圧倒的に有害。
★世界の学校の2類型
内藤氏は、学校を「教習所型」と「共同体型」に分類する。
「教習所型」・・・ドイツ・フランス
学校は要するに「勉強する所」。濃密な人間関係を求めない。
帰属の場は学校以外にたくさんあり、学校はその一つに過ぎない。制服なんか着ない。
といって学校は甘くなく、成績が悪いとすぐ留年。勉強が出来ない人には厳しい。
「共同体型」・・・アメリカ・イギリス・スウェーデン
共同体的教育を重視。
日本の学校は極端な共同体型。余りに共同体主義の程度が高いので、日本からアメリカやイギリスを見ると
なぜか市民社会的に見えてしまう。
いじめ対策にしても、いじめの原因が共同体主義であるのにアメリカ・イギリスの共同体主義的手法を輸入するという、皮肉な事になっている。
(子供同士でのカウンセリングや、QCサークルでの討論など)
その結果、加害者と被害者に直接話し合いをさせるような対応になり、被害者の悪い所を吊るし上げる
「いじめ祭り」の様相を呈する事もある。
★いじめの処方箋
そもそも「なぜ人は人をいじめるのか」?
内藤氏はこれを、「人はなぜ人を愛するのか」「人はなぜ幸せになりたいのか」と同じで、基本的には
答える事のできない問題だとする。
しかし、いじめの作動メカニズムを把握・研究すれば対策は可能だと。
宮台氏も同じく、根源的な意味ではいじめの撲滅は不可能。しかし社会構造や共同体圧力によるいじめには明確な作動メカニズムがある為、メカニズムの解除が目標になり得る、とする。
内藤氏は、長期的な対策と短期的な対策の二本立てを提案。
●長期的な処方箋・・・学校制度そのものを廃止し、別のシステムに置き換える。
しかしこれは何十年先になるか判らない。
そこで、現在の枠組みで可能な短期的対策が以下。
●短期的な処方箋・・・暴力に対する警察・司法の介入。
学級制度を廃止し、色々な付き合いを可能にする事で、
「シカト」等のコミュニケーション系のいじめを無意味化する。
★まとめ
内藤氏・宮台氏とも、本編ではもっともっと多くの問題を語っておられます。
今回の大津市のいじめ自殺事件では、学校・教育委員会が余りに駄目過ぎて警察が介入しました。
ただ僕が引っかかるのは、今回の介入が果たして、宮台氏が言う「市民社会のルール」が正しく適用された結果かどうかという部分です。
いわゆる「国民の怒りの声」が反映された結果だとしたら、それこそ「共同体主義」から
一歩も出てない事になります。
その場合、僕らは逆の意味での「いじめ祭り」をしてしまう事にならないでしょうか。
もちろん加害者は完全にアウトですよ。暴行と恐喝の犯罪だもの。
事実を隠蔽した学校と教育委員会も完全にアウトです。
両者が裁かれないのはおかしいです。
でもそれはあくまで「法」によって、「市民社会のルール」によって裁かれるべきです。
目を向けるべきなのは僕ら自身の態度だと思います。
今回の事件、僕ら別に当事者じゃありませんから。
被害者に涙したり、加害者に怒りを感じるのは誰しも同じですが、今回少々逸脱してる気がします。
本来我々には、今回の事件を怒る資格など無いと思ってます。
どんな理由があれ、我々は福島の子供を20mSvの中に置いて容認してますもの。
皆さんが言う通り、いじめの問題と原発の問題は構造的にとてもよく似ています。
ただ原発問題は我々全員が否応無く当事者ですが、大津市のいじめはそうではない。
最大の違いはそこにあると思います。
と言っても、余りに駄目な事実が次々出て来ますもんね。
学校・保護者・教育委員会の腐敗の程度が尋常じゃないのも確かなので、難しい所です。
とりあえず、いじめにしても原発にしても、日本がこの腐れた共同体主義から脱皮する事が
死んだ子への一番の手向けかな、と思いました。
今回特に書くのを迷いましたので色々異論もあろうかと思います。
いつもお叱り覚悟で書いてますが、コメント大歓迎ですので何でもどうぞ。
