どんな方かと申しますと、背はそんなに高くないのですが、血色の良い健康的な褐色肌でお肌はつるつる、髪はふさふさで目はしっかりと見開いている、知的な男子です。
生まれはと申しますと、リーマンショック前、ITバブル前、湾岸戦争前、イラン・イラク戦争前、オイルショック前、ベトナム戦争前、第一次中東戦争前、太平洋戦争前、そして日中戦争前にまで遡ることのできる1933年生まれのピンピンとしたおじーちゃん。
どこでどう知り合ったか?
手短に言えば、ジャズハウスでナンパ!?
私からじゃなくて、相手からね。
その日はどうしても聴きたいバンドの演奏があって、私の音楽好き仲間とは都合がつかず、一人で行ってカウンターバーに座りパッションフルーツティーに蜂蜜を入れて飲んでいたら、隣でシガーを吸うマレー人のおじーちゃんに声をかけられたのです。
「君は日本人?一人で来たの?変わった人だね」
そこから、何度か一緒にジャズを聴きに行くようになり、色々と話すようになったのです。
おじーちゃんはイギリスで建築を専攻した後、ロンドンで仕事をしたり大学で教えたりと30年間暮らしたそうです。
「磯崎新っていう日本の建築家いるでしょ?彼とはロンドンで建築家がよく集まるバーで知り合ったんだよ。」
磯崎新氏、もちろん知っているけれど、存命かどうかは分からず、『まだ生きていらっしゃいますか?』とも聞けず、ふむふむと頷いてみせた。帰って調べたところ、1931年生まれ。おじーちゃんとは2歳違いなんだね。
そのおじーちゃんから日本が震災にあった後、温かいメールを頂戴しました。
“マレーシアやその他多くの国では、今まで日本から多額の援助を頂いてきました。今度は私たちが支援をする番です” と言って、おじーちゃんも会員である非政府団体の建築協会に掛け合って、復興支援に必要な建築家やエンジニアを各国から日本へ送ろうと考えいてくれたのです。
ですが、毛布のサイズにも規定がある国なので結局その話は実現しませんでしたが、温かい気持ちは本当に嬉しかったです。
そんな気さくに話せるおじーちゃん、私が通っているガラス教室で知り合ったダンディーなオペラ歌手のような生徒さんとお知り合いだったのです。
ダンディーなおじ様はいつも黙々とアラビア文字をタイルに書いているので、何を書いているのか尋ねたところ、98人の預言者の名前を書いているとか。
その彼とあまり言葉を交わしたことがなかったのですが、ある日
「日本の病院で有名な建築はない?」と聞かれたところから話が進み、
「ダンディーは建築家なのですか?すると、おじーちゃんをご存知ですか?」となって、
「小さな世界だね~」と会話が進んでいったのです。
そのダンディーからの話では、おじーちゃんはマレーシアで結構有名な建築家のようで、彼の父親や親戚の家を昔設計したとか。「おじーちゃんは、本当に頭の切れる人だよ」とおっしゃっていました。
確かに、Dato(ダトー)という称号の付く人だと言うのは知っていましたが、私が失礼のないようダトーと呼んだところ
「そんなヤメテヨ~、ダトーなんてKLにうじゃうじゃいるし~、恥ずかしいじゃん」との返答。
本当に立派な人というのは控えめに生きているのですね。
そのダンディーに
「私は長らくおじーちゃんとはお会いしていないんだけれど、お元気にされていますか?」と聞かれたので
「はい、とてもピンピンとされて、最近ピアノのレッスンを始めたそうですよ。えーと、おじーちゃんは1933年生まれだから78歳ですね。78歳とは思えないくらい若々しい方ですよね」と答えたら、
「あなたは彼の生年月日まで知っているのですか?」と驚いた顔をされたので、
「はいFacebookで繋がってますから」と答えたら、ダンディーは大声で笑っていました。
その日、ダンディーから名刺を渡されネットで会社を調べてみると、彼はKLの一等地を開発する日本で言えば、三菱地所や住友不動産のような会社の取締役の方でした。
それから1週間後、偶然ショッピングモールでおじーちゃんと出会ったのです。
おじーちゃんが私に何を買いに来たんだね?と尋ねてきたので
「6Bの鉛筆を買いに来ました」と言ったところ
「えーー、6Bの鉛筆を買いにわざわざここまで来たの!?」
「はい、6Bだから来たのです」
次に私がおじーちゃんは何を買いに来たのですか?と尋ねると
「ダイニングテーブルを買いに来たんだよ。いいのが見つかったんだけれど、35万リンギ(およそ94万5千円)で予算オーバーしちゃって」
一体予算はいくらなのかと尋ねると30万リンギ(およそ81万円)。
おじーちゃん前に言ってたよね?
『独身だと食べるの早いんだよ~、早く食べ終わる人見てごらん、一人身だから』って。
日本の座卓って結構便利なのよ、場所もとらないしね

そして別れ際、おじーちゃんが首をかしげながら
「やっぱりさー、君、変わった日本人だよね」と言って去ったのでした。
確かに私はその日、ショッピングモールへ鉛筆を買いに行ったわけですが、陶芸教室の後だったので空腹になり、一人中華レストランでランチをしていたのです。あまりの空腹で、ランチセットを注文したら、最初に野菜と豚肉のスープとレタスの油炒、次に並サイズのエビ入り中華スープ麺、そして餃子、最後に杏仁豆腐。
隣の席を見ると、3人の女性が小籠包と野菜、焼きソバ一皿をシェアしているではないですか!!
おじーちゃんは断食中なので食事はせず声をかけてきただけでしたが、私が一人で何皿もテーブルの上に並べて食べている姿を見て変わった日本人だと思ったのでしょうね。
おじーちゃん、変わってませんよ~、これが日本の標準的な30代の女性です!












」
