↓前回の続きです。

子ども時代その①

子ども時代その②

 

 

 

<社会人>

さて、世間体を気にして妥協して選んだ会社に入った私ですが、

 

結論から言うと、たったの4か月で退社しました。

 

主な理由は、やりたくない仕事をやりたくない身なりで行うことに、かなりのストレスを感じたからです。

先輩を見渡しても憧れる人もおらず、目標が持てない。ずっといてもいつか辞めるな。なら早めに辞めよう。となったのです。

 

にしても決断も早いし、やめても大丈夫という自信をすでにもっていたのには理由があります。

 

高校1年生から大学4年生までの7年間のバイト履歴について、私はかなりの数の会社と職種で既に色々経験済みだったのです。

 

スーパーのレジからはじめ、多数の飲食店やパチンコ店のホールスタッフ、日払いの短期バイト、出会い系のさくら(これは珍バイト!)結婚式場のスタッフ、モデルルームの受付、コンパニオンなど等、思い出しきれません。

高校生時代に一番稼げたのは野球場のビールの売り子でした。時給にしたら2~3千円くらいもらってました。もちろん歩合制。私なりに売れるコツを考えて、誰よりもビールを売りまくってました。

大学生時代に一番稼げたのはキャバクラでした。時給3千円くらい+歩合。ただ、自分を売りにするというのがどうも苦手で、ナンバーワンキャバ嬢のタイトルは得られませんでした。

 

そんなこんなで、一か所の職場に長くいるというよりは、色々なことをしていたのです。 逆にいえば、どの職場も受かるしどこに行ってもすぐ馴染める。コミュニケーション能力と適応能力に優れていたと思います。

 

なので、就職ということ自体が、どこかバイト感覚だったのかましれません。また次見つければいいやというノリでした。「3年間は続けてみてもいいんじゃない?」という大人のアドバイスが理解できませんでした。当時の私は1分1秒も自分の時間を無駄にしたくなかったのです。(今ならなぜ3年かの意味は理解できます)

 

 

 

<ワーキングホリデー>

 

大手企業を辞めた私は、その後に留学することを決めていました。 1ヶ月後には友達が住んでいたニューヨークとロサンゼルスに1ヶ月滞在し、海外生活を体験。

1週間の語学学校にも通ってみたし、ブロードウェイダンススクールで体験レッスンもした。すごすぎる行動力。

そしてそれから1年間、アルバイトでお金を貯め、ワーキングホリデーの制度を利用して、オーストラリアに渡りました。

 

海がすきだったのでオーストラリアに決めました。そしてサーフィンにのめりこんでいったのです。

回転寿司屋でシェフのバイトをしながら、朝昼夕と1日3回海へ行き、友達とも毎晩遊ぶ。本当に楽しい生活でした。住まいの身近に自然があり、規則正しい生活リズムを初めて体験。毎朝快便でノーストレス。 

こんなに健康的な生き方があるんだと知りました。

(逆に考えると大学生までの私の生活は、不規則だし朝に便はでないし、ストレスも多かったのだとこの時思いました。)

 

 

 

<フリーター>

 

帰国後も海のそばに住みたくて、千葉県の外房に住みました。 毎日サーフィンの練習をし、キャバクラとゴルフ場のアルバイトで生活費を稼ぎながら、プロを目指しました。 小さな大会にもたくさん出場し、少しずつ上達していきました。そしてだんだん賞もとれるようになってきたのです。

この時は、「絶対プロサーファーになりたい」という確かな願望がありました。

 

と同時に、「何か目指すものがあって一生懸命取り組んでいる自分」でいないと、社会にいてはならないような気がしていました。 ずっと私のそばには「世間体」という監視の目がありました。(もちろんこの目線は自分でつくりあげてしまっていたものです。)

だから、「頑張って、頑張って、頑張って、絶対に手に入れるんだ」と力が入りすぎでした。プロになれば親に認めてもらえると思ってました。

親に対して、「立派な社会人ではない自分でいること」が申し訳なかったのです。

 

そんな矢先、バイクで事故り、大怪我をしてしまったのです。

 

この時が2010年9月、28歳でした。

 

 

またまた長くなってしまったので次回の記事

大人になった私その②30代に続きます。


ついにセラピスト人生ちゃんとしなきゃがベースのブログのはじまりです。

 

 




私の願望とは


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私の一生さらっとまとめ


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大人になった私その②30代

大人になった私その①20代