嫌な湿気が世界を包んでいる。湿気を含んだ雨が濡らすアスファルトをはじく様に車は走る。

信号待ちで、横の歩道に眼をやると、沢山の人がうつむきながら歩いている。

そんな光景をボンヤリと見つめ、ここを歩いている人たちは、いったいどんな人生を歩んできたのだろうと、考えていた。


生まれ落ちたその日から、今までどんな事を見て、誰と出会い、どんな経験をしたのだろうか。

人は、生涯の中でどれだけの事を経験し、どれだけの事を犠牲にするのだろう。


そんな取り止めの無い事を考える僕の背後から、やかましく鳴り響いたクラクションで、我に返り慌てて車を走らせた。


街の一等地に建つビルの中に、僕の勤める会社はある。

そこで、営業の仕事についている。長く働いたせいなのか、どうかは分からないが、

そこそこに出世し、肩書きもついた。


デスクの上には、前日に置いておいた、自分のすべき事や1日のスケジュールをまとめた紙が

ある。目を通し、一息ついて、頭の中のスイッチを完全に切り替えるために、タバコを吸いながら

仕事のことを考えていると、同僚や部下達が、うつむきかげんに続々と出社してきた。


のろのろと仕事に出かける用意をしながら、とりとめのない事をボンヤリと考える。 


1人で過ごす事の寂しさや時々襲い掛かる孤独にも慣れたはずだった。


仕事は何も思い出す事の無い様に、家を出れば僕の中でスイッチが入る。


誰も知らない。僕が、1人の女性を失った事によって、ここまでの喪失感に襲われていることも、


1人で過ごす孤独を感じていることも。


雨のせいだろうが、体にまとわりつく湿気が余計に僕をイライラさせる。


こんな時、君なら僕に何て言うだろう。きっと、いつもの様に微笑んで


「自然に気にならなくなるわ。」って言うだろう。


君の言うとおりだろう。いつのまにか忘れてしまう。


この鬱陶しい雨の事も。




人間には、どんな力があるのだろう。

生まれてから、死ぬまでに人間が発揮する力というのは、持って生まれた能力の半分にも満たないという。


大切なモノを失ったら・・喪失感や絶望から逃れるための力というのは一体どうすれば、発揮できるのだろう。

そんな能力は人間には、備わってはいないのだろうか・・?

手探りで闇を彷徨うのは、思ったよりも苦しいことだ。

闇にのまれる様な、取り込まれてしまう様なそんな気がする。


どんな時だって、君を思い出せる。小さな声で君の名前を呼んだって、君がどんなに小さな声で僕を呼んだって、聞こえる距離に僕たちはいた。

いつだって君は僕の隣に居て、僕の心を見透かす様な・・いや、もっと遠くを見る様なそんな眼をして僕の傍で笑っていた。

君には分かっていたのか?君が僕よりもずっと早く逝ってしまう事も、君を失った僕が、どんな風に変わってしまうのかも・・。


アスファルトを撃ちつける様な激しい雨の音で眼が覚めた。外はどす黒い雲に覆われていて、まだ夜が明けきっていないようなぼんやりとした暗さで、街全体を包んでいる。

湿気を含んで重くなった布団が、僕の憂鬱な気持ちに拍車をかけて圧し掛かってくる。

朝は嫌いだ。全てをリセットするかのように、何事もなくやってくる。

だが、朝を迎えた街はどんよりとしていてもにわかに活気付いている様にもみえる。

起き上がって外をぼんやりと見つめて、ダイニングに向かう。部屋の中まで湿気でじっとりとしている。

泥のようなコーヒーを飲みながら、夢の続きを思い出そうとしてみる。

途中で終わってしまった、愛しい人を探す夢。探している途中で、闇にのまれてしまう。

何度同じ夢をみれば、憂鬱な自分から、解放されるのだろうか・・。