10月7日山形県民会館で沢田研二さんの50周年記念コンサート観たんです。

今、月に一度は両親に会いに故郷山形に帰っているんですが、母が先月風邪をひいてから具合が悪く仕事の都合がついたらお見舞いに行きたいと思っていました。しかし、九月に両親に会った時、10月7日のチケットを大沼デパートで購入していたんです。小学校の六年の頃からジュリーに会うのが夢だった私ですが、山形でコンサートを観たことがなく、いつか観たいと願っていました。中学時代は学校で禁止されて行けなかったのです。大入り満席の県民会館。

ここで演劇をやりに東京に行こうと決意した16歳の時に文学座の「ガラスの動物園」も観たんです。その演出をした、あこがれの長岡輝子さんの楽屋と同じ楽屋に50歳を過ぎて入った時に胸が詰まりました。そのホールで、沢田研二さんの歌が聴ける。

50周年だから50曲歌う。本当に素晴らしいステージでした。「僕のマリー」でテレビの画面で出会ったのが小学生。そして今私は62歳、澤田さんは69歳。歌の一曲一曲に私自身の人生も重なります。

「いくつかの場面」は舞台芸術学院の卒業公演の時に私が作・演出した芝居のテーマに使わせていただきました。「六番目のユ・ウ・ウ・ツ」は岸田戯曲賞をいただいた「ゲゲゲのげ」の中で使わせていただきました。

興奮したまま、七日町の阿古屋寿司で、高校時代のバンド仲間たちや、演劇クラブの仲間と合流。コンサートの素晴らしさを語りました。

バンドリーダーだった五十嵐靖彦さんが、私の40周年記念コンサートの写真を引き伸ばしてくれました。両親に見せるために頼んだのです。

山形の漬物は本当においしい。

ジュリーにも山形の漬物を差し入れしました。そして、30年前歌を作っていただいた時に贈らせていただいたお菓子と同じお菓子と。

自分のコンサートで沢田さんが作詞作曲して下さった歌が歌えたのも本当に感慨深く、どうしてあんなに憧れたのか?今回のコンサートで再確認いたしました。

意志もぶれず、歌もぶれない。一曲一曲を丁寧に魂を込めて、創り上げていく姿勢とサービス精神、そして毎回新しい努力を重ねつづける美しく光る星のような何か・・・。この輝く何かに惹かれている。そして、その何かを私も持ちたいと願う。これは何だろう・・・。ホールで思いっきり「ジュリー!」と何度も叫ぶことができて良かった。子供の頃は禁じられていたコンサートで、今、叫べる。縛られていたものから解放される喜びでもあるのです。ジュリーからは本当に様々な影響を受けました。ジュリーと出会わなかったら、別の人生を歩んでいたかもしれません。

とにかく今もまだ興奮していて、家にある沢田さんのCDを聴きながら原稿を書いている日々なのです。また頑張って行こうと、生きる勇気を得られたコンサートでした。来年も再度行きたいと願っています。

「第六感」を持っていなかったのでアマゾンで買おうとしたら、すでに中古品しかありませんでした。私と同じようにみんなもう一度聴こうと思って一斉に注文したに違いありません。