沖縄 美しい今帰仁城跡からの海




沖縄 備瀬の海







沖縄 辺野古の海




古宇利島の子犬






美ら海水族館

下は素晴らしいイルカショーを演じてくれたイルカたちの中の長老沖ちゃん


私は三十代後半の頃過労で倒れ、ベットから転がり落ちたまま、全く体が動かなくなってしまった

ことがあります。仕事をすべてキャンセルせざるを得なくなり、もうすべてやめるしかないのか?と絶望しました。

そんな時、友人の田根楽子さんの「そういう時は南の島に行って、何も考えず静養すれば良い。石垣島にまず行けば?」

との言葉にただちに出かけました。山形出身の私にとって想像を絶する発案だったのです。

そして、2月の石垣島に二週間暮らしたところ、嘘のように回復してしまったのです。

冬なのに暖かい海でのシュノーケリング。そして地元の方たちの、何より暖かい、独特な人柄。それに救われたのでした。


仕事に行き詰ったとき、苦しいときに私はいつも石垣島のことを思い出し、沖縄の事を思い出すようになりました。

沖縄本島に初めて行ったのは、「ザ・サンデー」という情報番組に出演しているときでした。


普天間基地の騒音に苦しむ子供たちの取材と象の檻の取材。

その時に今まで本やドキュメンたりー番組でしか知らなかったことをこの目で見たのです。


三分間に一度聞こえる騒音、戦闘機の飛び立つ音のその物凄さに腰を抜かしました。

「ここの子供たちはこれが教室だと思っているのです。静かな教室があることを知らないのです。」

私は絶句しました。


山形での小学校の頃を思い出しました。いじめられて登校拒否になったことのある私ですが、

そういった内面的な苦しみを超える激しい暴力のような音なのでした。


「これは完全に間違っている。なぜこんな苦悩をここの子供たちだけが強いられなければならないのか?」 私はカメラに向かって発言したと思います。


今回私の「辺野古のこと」のブログに沢山の方が投稿して下さいました。


みんな生きていかなければならない。生活していかなければならない。

しかし生活を支える手段に大きな不平等がこれほどあって良いものか?

と私は大いに悩みます。

誰もが平和を望んでいることは間違いないと子供のころから思ってきましたが、

戦争で生活している人が多くいることも後に学びました。武器兵器を作る施設、そこで働く人々。


「戦争」という、言ってしまえば「大量虐殺」を不本意にも支えることになってしまうかもしれない仕事につかざるを得ない方たちが数多くいるとという現実があります。こう書くと本当に誤解されるかも知れませんね?

私たちの仕事だって不本意に戦争を支えてしまうこともあるかも知れないのですから。それらの仕事をしている方を全否定している訳ではなく、結局色々なことの犠牲になっているのではないか?ということです。戦争で大儲けするのは市井の方たちではないですから。

兵士たちも家族のいる普通の人たちで真面目に働いている方たちでしょう。そしてみんな「平和」を望んでいるでしょう。



しかし、戦争を止めるためには少しづつ少しづつでもそれらを縮小し、その他の仕事に切り替えていく必要があると私は思うのです。


私の考えは子供じみた理想に過ぎないと良くメールをいただいたりしますが、私はあきらめません。

いつか戦争がなくなると本気で思っています。



それまで色々な考えの方が色んな議論を重ねていけば良いと思っています。

勿論

基地があるのは沖縄だけではありませんが、その割合が凄いのです。


米軍の家族の宿舎が経っていた土地が返還され新しくショッピングセンターに生まれ変わった場所

もあり大いに栄えていると聞きました。そこには雇用も生まれうまくいっているとのことでした。



日本全体で考えなくてはならないことなのではないか?と私は思いました。




沖縄の猫






石垣島マリンメイトの夕食


「世界全体が幸福にならなければ個人の幸福はあり得ない」宮沢賢治の言葉です。