今日は新国立劇場で「リチャード三世」と銀河劇場で「星めぐりの歌」の二本を観劇した。
二本とも今日が千秋楽、やっと観ることができた。
「リチャード三世」は文学座の鵜山仁さんの演出。今年のオフィス3○○の「月にぬれた手」を演出していただいた演出家である。舞台芸術学院では私の二年後輩だが、鵜山さんは大学院を出てから入学してきたので、年は私より上である。
「ヘンリー六世」も良い演出だったが、今回も興味深かった。 「生まれた時から鏡を見たことがない」という冒頭の台詞から発想を得たのか、鏡のような丸く巨大な月が舞台奥下手に映し出されている。
舞台のセットは月面を思わせる赤い砂漠。そのクレーターの一つが小さな舞台になっており、そこが鏡の月になっている。その鏡の上のリチャードが経つとビデオ映像が空にかかった月に映し出されるという演出になっている。
観客に見えない陰の表情が月に映ってみえるのである。
私も「月に眠る人」「月の上の空」「月夜の道化師」「月にぬれた手」と月を題材にした戯曲を多く書いてきた。
月がもう一つの人間の内面を表す鏡という捉え方にシンパシーを感じる。月面の赤い砂漠はこの地球の近未来にも思え、過去から連綿と続く人間の営みが愚かにも、滑稽にもせつなくも見え、そしてまた、おびただしい血液のニオイを乾かせ、浄化させるようにも感じることができる。
そして幕あきから殺されている、エドワード王の遺体が、震災による津波で溺死してしまった遺体に見える。泥と砂の色に汚れた遺体がそう見えるのだ。そしてその遺体が上演中下手にずっと置かれている。
中盤に首を切られたドーセット候の首もいつの間にか置いてある。
リチャードによって殺された人々の魂が砂漠の彼方からショウロウ流しのように浮かんでくる場面は先日観た草間彌生の絵のようだった。博物館の中に小さな部屋があってその小部屋に入ると鏡の魔法によって立体的に浮き上がる作品群があるのだが、それがちょうど、星の数ほどの人の命の火に見える。
そんな場面と重なった。
若い頃美輪明宏さんが演じて素晴らしかったマーガレット王女を中島朋子さんが演じていらしたが、
その衣装がすすけて敗れたウエデイングドレスに見え、白髪に飾ったリボンも物悲しくて良かった。
役者陣も良く、前にヘンリー六世を演じた浦井さんも、最後に正義感として登場しても嫌味がなく説得力があった。
昨日ブログに書いた「川を渡る夏」で主人公を演じた木下浩之さんがバッキンガム公の役で出ていた。
岡本健一さんは前に舞台で共演した時に熱心で真面目な方だと思ったが、リチャードも色々考えてあざとくならないように、実際に生きていた人物に見えるよう努力なさった後が見えた。
今の社会のことを当然考えさせられたし、今を生きているこの自分のことも色々と考えさせられた。
宇宙の中では氷の粒ほどもない存在の自分だか、本当に生きていくのはしんどくて辛い。そしてどうあっても死んでいく。自分はいったい何のためにこれから生きるのか?
終演後走ってタクシーに乗り、天王洲の銀河劇場へ。宮澤賢治の「銀河鉄道の夜」を題材にして現代版のストーリーに変え、しかもミュージカルにした作品だった。
演出と振り付けが上島雪夫さん、脚本は桑原裕子という方だ。
中川晃教さんがジョバンニ役。山崎育三郎さんという方がカンパネルラの役である。
今年書いた「天使猫」のために宮澤賢治の本は沢山読んだので、作家が苦労して現代版にしたのが分かる。いじめっこで後でカンパネルラに命を助けられるザネリとのちに死んでさそり座に変化するさそりの役を重ねたのはうまいと思った。
中川さんの歌は本当に素晴らしく、この世のものとは思えないような瞬間があるが、「モーツアルト」の役もやったという山崎さんとのデュエットも胸に響いた。そして土居裕子さんが中川さんのお母さん役で出演し何曲も歌たが、改めて良い声だなあ・・・と感心してしまった。
出演者みんなの歌が素晴らしく、踊りも良かった。
今年亡くなった親友のことが甦った。
芝居を観ていれば何度でも死者に出会える。
写真のないブログは文章がついつい長くなってしまう。
芝居を観ると本当に勇気づけられる。 みんな真剣に命がけで作品を作っている。それがひしひしと伝わってくる。芝居のない人生はやはり考えられない。
若い人たちが凄く真面目になったな、と思う。震災の影響も多くあるのではないか?と考える。
今日、新国立劇場で男子トイレに初めて入ってしまった。女子トイレの列が長く、休憩時間内には順番が回ってこないと思ったからだった。某事務所の女性社長が「私が見てますから、早く入って下さい」といーおっしゃってくれたので入ってしまったが、入っているうちに男性が何人か入ってしまい、その社長さんの声が外から聞こえた「すみません。今、女の方が入っています。時間が間に合わないのでやむを得ず入ってます。すみません」
ドアを開けて出ていくと、男性が二人用をたしていた。私は「すみません」を連発しながら座席についたのだった。
女性トイレを増やして下さい。