赤ちゃんのお母様、お父様、お辛いのに、返信いただき本当にありがとうございます。

体育館で、このポスターを拝見した時、もう胸が締め付けられてどうしようもなくなり、許可もいただかずに載せてしまいました。

文章を拝見し、私もこれからもっともっと色々と考えていきたいと思いました。

ありがとうございます。


14人の犠牲者を出した中学校にも案内していだきました。偶然先生たちが引っ越しの荷物を取りにいらしていて、教頭先生を呼んで下さり、三階まで入ることができました。

黒板には3月11日の卒業式に書かれた文章がそのままありました。

その写真もアップしたいのですが、携帯ではないカメラで取ったためまだやり方が分からないのです。

詳しい方に聞いて、近々載せたいと思います。


ゆりあげ地区では元の場所に戻りたいという方と、今の仮設住宅がある高台の方が将来も安全だからそこに移った方が良いと考えている方の両方がおられました。

元の場所にはいつまた津波が来るとも限りません。私も高台の方が良いと思いましたが、戻りたいとおっしゃる方が「肉親が津波でみんな亡くなった。私も死ぬ時はそこで死にたいから」と言った時、何も言えなくなってしまいました。「毎日自殺しようと思っている」という言葉を聞き、とにかく何か少しでも力になりたいと思いました。


しかし、みなさん、どちらでもよいからとにかく早く場所を決定して、普通の家に住みたいということでした。


ゆりあげの仮設の商店街で、私はYさんたちに何とお寿司をごちそうになってしまいました。実家の弟夫婦と一緒に行ったのですが、みんなごちそうになり、お土産の笹かまぼこまでいただいてしまいました。実は前日回らせていただいた仮設住宅でも、手作りのお菓子や枕、人形、絵本などなど沢山いただいてしまったのです。

支援に行って、逆にこんなにお土産をいただく。良いのでしょうか?

そして、好物のおいしいお寿司!どうやってもお金を受け取って貰えませんでした。

本当に本当にごちそうさまでした。

絶対に山形で温泉に入って貰います。


仮設の商店街のお店の人たちはみんな本当に頑張っていました。内装のお金は全部自分たちで出したという話を聞いてまたまた驚きました。行政は一体何を考えているのか?

瓦礫撤去の仕事も全国の大手がやってしまい、地元にはお金が来ないようになっているという話も聞きました。

続きはまた書きます。とにかく書きたいことが沢山あります。うまくまとめられずすみません。