前回の日記でヘミシンクによる「救いと学び」を経験したのですが、その後またヘミシンクで誰かに聞いてほしい経験をしたので、誰か聞いてください(笑)
写経の効果についてです。
最近、自宅でずっと写経をしています。
結論から言うと、先祖供養として写経をご先祖様に送ると大きな助けになります。(ご先祖様のパワーアップは自分にも跳ね返ってきます)
さらに、写経のエネルギーは、自分が死んだ後、自分を救いの世界へと導くための鈴の音にもなります。つまり、死後の自分が迷っている時に救い出せるということです。
以下、私の経験を書いてみます
今回も少し長いですお時間のある時にお読みください
以前、チャネリングでご先祖様に聞いてみたことがあるのです。
「ご先祖様たちに、そちらの世界での修業がうまくいくよう写経を通じてエネルギーを送っているのですが、ちゃんと届いていますか??」
ご先祖様は「届いているよ~」と喜びの波動を送り返してくれました。
そして、「どんな風に写経のエネルギーが向こうの世界に届いているか」を体験させてくれました。
とっっっっっっても気持ちの良い、魂から癒される、鈴の音色が聞こえたのです。
おぉ~~っっ!こんな風に届いているんだ~~っ!!
ずっと聴いていたい、魂をやさしく癒す鈴の音色。
でもこの時は、鈴の音色が具体的にどんな効果を持つのかについてはわかりませんでした。ただ、癒されるなぁ~という感覚だけでした。
その後、ヘミシンクを聴いていた時のことです。
死後世界を体験する「Going Home」のトラックを聴いていました。
「とらわれた世界」であるフォーカス23から26までを順番に見て回り、最後に「救いの世界」であるフォーカス27を見ていきます。
ナレーターが誘導してくれます。
「今まで見てきたF23から27の中で、あなたが最も引き寄せられる世界はどこですか?そこに行ってください」
そりゃーもちろん救いの世界であるF27が良いに決まってるでしょ?
でも、その時の私は強烈にF24に引き付けられました。なぜか無性に気になるのです。
本当に死んだ後はまっすぐF27に行くから、今はちょっとF24に行きたい、と思い、私はF24の世界に降りていきました。
そこは、何もない世界でした。
私だけが存在し、誰もいない、何も存在しない、ガイドもスピリチュアルな存在も何もいない。
その世界を、私は一人でひたすら歩き続けていました。どこまで行っても何もないし誰もいない。
私には、その世界がとても気持ちよかったのです。
何者にも邪魔されず、ただ自分自身と向き合える世界。永遠に歩き続けることで、私は永遠に自分と一人きりになれる。
この世界ほど気持ちの良い世界はあるのだろうか。
私は、上に行けばF27(救いの世界)があることを知っていました。
つまり、今いるこの世界は「私が生前やり残したことをやりたいがために作り出した世界」、「生前の私の価値観や思い込みが反映された、私にとっての理想の世界」であり、「真に魂が救われる世界」ではないのです。
「早く上の世界(F27)に行かなきゃな…」
何となく心はそう思っています。
でも、この世界は居心地が良いのです。
なぜこんなに居心地が良いのか。
私は孤独が好きなのです。
生きているときの私はいつも人間関係を気にしています。
嫌われないように気を使い、本当の自分を隠し、周囲に受け入れられるように努力をしています。
それでも周囲から受け入れられなかったり、誤解されたり、嫌われたり、私の方も周囲に絶望したり、まわりのせいにしたり、そんな醜い自分が嫌いになったり、心がかき乱されます。
この世界にいれば、この世界には私しかいないから、心がかき乱されることもありません。気を使う必要もありません。本当の自分に向き合うことができます。
だから、この世界は私にとって天国なのです。
地獄という世界は存在しません。
人は死んだ後、自分の波動が合う世界に引き寄せられるのですから。波動が合わない世界には行きません。
周りからみたら「地獄」のように見えても、本人は行きたくてそこに行っているのですから、本人にとっては天国なのです。
理屈ではこういうことは知っています。
だから、この世界が私にとって天国のように居心地の良い世界であっても、これが本当の天国ではないことを知っています。
でも、上の世界(F27)にまだ行きたくないのです。
だって上の世界に行ったら、誰かがいるでしょ?その世界で私は一人になれない。誰かと対話しなければならない。もう誰とも対話したくない。
上に行かないとずっととらわれたままだということは知ってるし、いつか上には行くから、まだもう少し待って。
そう思いながらひたすら歩き続けています。
意外でした。
私はヘミシンクで何度も死後世界に行っていて、F27がどんなに居心地が良い救いの世界であるかをよく知っています。
前世の救出を何度もしたし、今の自分の側面の救出もしたし、とらわれた魂がF27で本当に救われるところを何度も見てきています。
まっすぐF27に行ったらどんなに楽なのかわかっています。
それでも、とらわれるのですね。
生前の価値観や感情に。
私は死後世界を見てきているから、どこに行けばいいかわかっているから、死んだ後はまっすぐF27に行けると思っていたのに。
生前の念というのはかくも強烈なものだったのですね。
思っていたよりずっと私を支配していたようです。
それを頭ではわかっていても、私はF24の孤独な世界でひたすら歩き続けています。
いつ終わるんだろ~いつ飽きるんだろ~とどこか冷静な部分では思っています。
その時でした。
F27の音が聞こえました。
これ、CDに入っている音です(笑)私が霊的にキャッチした音ではありません
Going HomeでF27に入った時の合図として、他のトラックでは静かな音が鳴るのですが、それがこのトラックにも後半に入っていました。
私は一瞬で我に返りました。
あ。上に行こう。
そしてF27に行きました。
F27で待っていたのは、
まだこの人生では会っていない、顔だけが見えない、私のソウルメイトでした。ツインソウルかもしれません。
まだ会っていないから顔はわからないけど、背の高い男性でした。
彼に会った瞬間、心が一瞬にしてドッと開くのがわかりました。
あなたに会いたかった、あなたに会えてよかった、そんな思いがドッとあふれてきました。
彼が両手を私に差し出し、私は両手を彼に重ねました。
ああ、これが救いの世界なんですね。
いくら孤独が好きでも、人間関係が怖くても、誰とも会いたくないと思っていても、
最後の最後に人が救われるのは、人との絆なんだ。
だからヘミシンクの魂の救出では、いつもF27で誰かが待っているんだ。
ガイドさんが化けてでも本人の会いたかった人に会わせるのは、人の絆によって人が救われるからなんだ。
生前の念や感情なんて、人の絆による救いの前では一瞬にして跡形もなく消え去ります。
私はもうF24に一切の未練も感じていません。
こうやってF23~26の世界でとらわれた魂は救出されるのですね。
私は彼と一緒にいつもの「救いの建物」に入っていきました。
そこでヘミシンクは終わりました。
終わった後、ガイドさんが教えてくれました。
「あなたが経験した救いは、まさにあなたが写経によってご先祖様たちに送っているエネルギーと同じなんだよ。」
ご先祖様が以前聴かせてくれたやさしい鈴の音色は、私が聴いたF27の音色、私を我に返らせたあの音と同じだそうです。
一瞬にして我に返らせ、一段上の世界に気づかせるのです。
それによって、「あ。上の世界に行こう」とふと思うようになるのです。ふと思った瞬間に魂はそこに行きます。
つまり、写経によってとらわれた魂を救出できるのです。
なので、魂の救出は、ヘミシンクでなくてもできます
自分の前世やとらわれている魂を救出したいけどヘミシンクを始めるのは大変だわ~という方、ぜひ写経してみてください
自分が死んだ後に鈴の音色を響かせるよう、死後の自分に対して生前に写経しておくこともおすすめです。
エネルギーは時間を超えますから、死後の自分にエネルギーを送りますよ~と思った瞬間にそこに届いています。
お経を通さずに自分のエネルギーを救出対象に直接送ることももちろんできますが(祈ることでできます)、もともと癒しの波動があるお経(般若心経)に乗せると、高い波動の助けを借りることになるので、より高いところから鈴の音色を鳴らし、より高い世界に気づかせることができます。
これが「とらわれている魂だけでなく、すでにF27に上がっていて仏様としての修行をしている魂たちにも写経が助けになる理由」です。
より高い世界に行けるのですね
写経した後は、お寺に納経してくださいね
私は先日21巻目の納経を終えました。
納経したら、御朱印をいただいています。これもまた一つの楽しみ
御朱印そのものにもパワーがあり、お守りになります。書いてくださる方によってパワーの出方は違いますが、神様や仏様の加護が宿っています。
バイトっぽい巫女さんが書いてくれたある神社の御朱印はあまりパワーは出ていませんが(笑)、あるお寺でいただいた御朱印は書置きでしたがメチャメチャパワーが強くて、ちゃんと修行された住職さんが書かれているのだな~と思いました
納経は、大きなお寺でしたら時々納経料が必要なこともありますが、無料でできるところも多いです。
ご参考までに、私が行った中で納経料がいらなかったお寺は、仁和寺(京都)、神呪寺(西宮)、門戸厄神(西宮)、中山寺(宝塚)、清荒神(宝塚)、大空寺(尼崎)、昆陽寺(伊丹)でした。(仁和寺と門戸厄神は納札所に投函)
拝観料が必要だけど納経料はないお寺は、 曼殊院 (京都)、金剛輪寺(滋賀)でした。
千円の納経料が必要だったお寺は智積院(京都)、大覚寺(尼崎)、金剛院(伊丹)でした。
写経は徳として積みあがり、生きている間にもしっかり効果があります。
私もまだまだ写経していきますよ~!
皆様もやってみてくださいね