[4/2つづき]
私は、スーパーの物資の様子を見るべく、ヨークベニマルに立ち寄った
普通に営業しており、品ぞろえは東京よりもいいくらいで安心した
寿司や総菜なんかもあって、行列なんかできてなくて、節電もしていないから店内も明るかった![]()
更に歩いて、旧矢本高校の近くを歩いた
遺体安置所だから、複雑な気持ちだ
そして、更に歩いて、避難所の矢本東小(母校)の校庭で元気に遊ぶ子供達が見えた
更に進んで、矢本一中(母校)の前を通った
校庭の隅にあるソフト部のコートは、すっかり自衛隊のキャンプになっており、群青色のテントがたくさん張ってあり、自衛隊車両と自衛隊さんがいた![]()
姉との待ち合わせのマックスバリューに着いた
すごく車が多く、店どころかファミレスやケンタッキーまで営業していた
ウチの親族はほとんど車が水没してダメになったため、義兄の母の車で、姉と姪が迎えに来てくれた
姉達が腹を空かしていたので、まるまつでラーメンとドリンクバーと寿司をおごってあげた
姉は夕飯用にとケンタッキーを買ってきた
私が来るってことで、姉の避難先の義兄の実家は、今夜は御馳走にしてくれるらしかった
こんなに被災者に世話になるなんて・・・・お見舞い金を包んできて、心底良かったと感じた![]()
私が早めに矢本に着いたため、そのまま祖母の家に行くことにした
45号線は赤井方面へは抜けれないため、農道経由で行くことにした
姉が津波に遭遇した場所の、大街道を観ていこうという話になり、大街道の姉の職場に立ち寄ることにした
行く途中、瓦礫、民家の海水につかったゴミを大量に見た・・・ゴミがあり過ぎて車がすれ違えない場所すらあった
途中から45号線に乗り換え、中浦ヨークの近くをさしかかったところ、中浦ヨーク前の道路が半分落ちたのか、すっかり無くなっているのが見えた![]()
そうして、大街道に行った
大街道は、道路じゃないところのあちこちに、まだ水没した後の車がゴロゴロしていた
車は窓ガラスが割れているのが多かった。中の車検証を取り出すためもあるし、中にあった遺体を引きずりだすために割った窓もあった
確実に遺体のなかった車だけにしか、カメラは向けなかった
遠くの方の、民家の隙間のようなところで、ブルーシートをしいて救援物資を配布しているのを見た
口コミで物資をもらいに行くとは聞いていたが、こんなにも目立たないところで配っているのには驚いた![]()
そうして姉と私と姪は、柳の目にある祖母の家へと向かった
柳の目にある祖母の家は、青果市場に面しており、青果市場は今は遺体安置所になっており、匂いがあまりよくなかった
青果市場の遺体安置所へ、遺体を運ぶ自衛隊の大きなトラックを見かけた
遺体安置所は、ギュウギュウ詰めに遺体があり、他人の遺体を踏みながらじゃないと探せないらしい![]()
祖母の家は、床下浸水しかしておらず、親族4世帯が皆で集まって生活していた
皆、それぞれ家が水害にあっていたが、なんとか家は流されずにすんでいた
みんな怪我なく生きていた
ここでも色々な体験談を聞いた
本当に地獄だと強調して言われた
従姉は赤ちゃんの子供を連れて、蛇田イオンに避難したが、布団も3人に1枚、ミルクもなくて、仕方なく100%ジュースを飲ませたら吐いちゃった・・・とか、散々な話をしていた
祖母は昔から「津波は怖い」と語っていたが、こんなに酷い災害は80年生きてて初めてだと言っていた
日和山に避難した叔母は、ふもとで火災がおき、でも消火活動ができず延焼していく火の手から逃げるため、炎の合間を逃げたようだが、炎の中から「助けてー、助けてー」とたくさん聞こえてきて、本当に辛かったと言っていた![]()
しばらくして、従姉に見送られながら祖母の家を後にした
そうして日が暮れる前に義兄の実家の前谷地へと向かった
途中、石巻西高(母校)の前を通った
ここもまた、遺体安置所だ
自分が青春を過ごした母校が、たくさんの犠牲になった人たちの安置所になってしまう・・・そのくらい酷い災害だったんだぞって、すごくすごく、心に響いてくる気がする
本当に悲しい、悲しい、悲惨だとしか言いようない![]()
そして、長くなってきたので第三弾につづく


