鳴くよウグイス〜とかって、語呂合わせで
覚えた事がありますが。
1200年くらい前ですか…
こういうのも習った事は有るのでしょうが
当時は興味もなく、いいかげんに聞いて
いたもので、まったく頭には入っていま
せんでした…
色んな方達が出てこられ、視せられたり
するようになると、もう少しちゃんと
勉強しておけば良かったって、
今更ながら思います。
お名前を聞いたってわからない事も
有りますし、ある程度歴史を知って事情を
把握していないと、私の様に困る事になり
ます…
『知らないのか‼︎』
知らぬ存ぜぬ…ハァ
何度言われたことか…
また、
教科書とは違うって事もありますし。
歴史的に南北朝の戦いがありましたが
この金剛寺は、南朝方である後醍醐天皇の
皇子、後村上天皇が1354年〜5年間ほど
こちら金剛寺の天野殿で、
政務を執りました。
つまり、南朝方の中心地として利用されて
いた時がありました。
ちなみに今の天皇家は北朝方です。
南朝が正統だ、いや北朝が正統だ、の議論
が今でもありますが…
この辺りは割愛します。
一時期金剛寺では、北朝方の上皇と天皇が
幽閉され、こちらで鎮座されました。
庭園の更に奥にあるのが金剛寺本坊
奥殿です。
別名『北朝御座所観蔵院跡』
当時は南朝方の天皇と北朝方の天皇
両方が共存した事があります。
その内部はかつて皇族方がおられたという
事が裏付ける気品に満ちた雰囲気です。
観月亭あり、また庭園が素晴らしく
眺めていると、気持ちが落ちつきます
心が疲れていた私にはピッタリでした。
まだベストな紅葉シーズンに訪れた事が
無いので、また行きたいと思っています。
歴史的な場所で国宝あり、重要文化財あり
見どころは沢山あります。
廊下を歩くとキュッキュッって
独特な音が鳴るのですが、何かそんなのも
楽しかったです。
一度出て歩いていると、
誰かが呼んでいます。
宝物館の方です。
ご本尊は大日如来様なので、
呼んでらしたのは大日如来さま?
中に入り、正面の方を眺めていました。
『これこれ、こちらだ』
きょろきょろ…
どなたに呼ばれているのかわからず
また、きょろきょろ。
『どこを見ておる』
見過ごしていました
入口付近に大国さまがおられます。
普段お目にかかる大国さまとは少し
感じが違います。
『走大黒天』さまです。
一日に何里も移動する事が出来て
出世、開運を祈願する方が
多いとか何とか…
『何里も移動って、そんなに脚が
速くて、丈夫なのですか?』
そこに書いてある通り。
何でも叶えるのは無理だが
その者を見て、
比較的容易な事は直ぐ叶う
『もし大黒さまさえ宜しければ…』
ある事をお願いしてみました。
その日の夜中、大黒さまが現れました。
私は見てはいませんが、娘のもとへ
現れたようで✨
軽装な格好をし、
脚は常に慌ただしく動かすと
物凄い勢いで
一瞬で居なくなったそうな
ニンマリしながら片手を上げ
『任せておけ』
次の日だったか?
2日目だったか?
びっくりする程早く叶い
2人で驚きました
おー凄いね‼︎
有言実行 流石です
時の方々のところに
いらっしゃったから
非常にお仕事が早いです。
素晴らしいです
最後に、お酒の技術が確立したのは
室町時代末期ですが、
その当時酒造りと流通の中心と
なっていたのが、各地の寺院でした。
この為お酒は、
僧房酒と呼ばれていました。
こちらの御寺の僧房酒『天野酒』は
お酒の品質がまだまだ十分でなかった当時
その品質の高さは、宮廷にも認められて
いました。
戦国時代に入り天野酒は、皆さんが
ご存じの戦国武将達に愛飲される様に
なりましたよ
楠木正成、織田信長、徳川家康、また最近
やっと神上がりされた豊臣秀吉公など。
特に秀吉公は、天野酒をお気に召し
度々使者を向かわせ、買い求め
良酒醸造に専念することを命じた朱印状を
天野山金剛寺に下付けしたほど。
この復活した天野酒、歴史を感じながら
一度ご賞味なさってみては
いかがでしょうか