常に自分の側は正しくて
自分には目の前の誰かを裁く権利があると
思っている者たちがいる。
けれどもそれはただの思い込みである。
実際には豊かさの土壌の上に立っていないから
その者はただ外側から声を上げるしかできないだけである。
声をいくら上げても
豊かさが振り向いてくれるはずがないのに。
豊かさは常に土の上にある。
土にまみれたり汚れたりしているうちに
その者の手に届くものである。
土で汚れることを拒否する者の手はたしかにきれいなままかもしれない。
けれども豊かさを享受することは決してできない。
ただその土は汚いと見当違いの声を上げるだけ。
それが愚かな行為と気づいた者から豊かさの循環に入ることができる。
どちらを選ぶかはその者次第。
豊かさを手に入れたいのなら
土にまみれることを受け入れるがよい。
久しぶりの「伝言」シリーズは少し口調が変わっていました。
これは私の思う五行の考え方とも一致するので
なかなかに興味深いと思いました。
消費者の過度な懲罰的思考が気になるなと思っていたときに
なんとなく降ってきた言葉です。