今年初めて「R.I.P.」という言葉を知りました。
ラテン語の「requiescat in pace」が語源で
現在では英語の「rest in peace」の略として使うそうです。
この言葉を知ったきっかけはもちろん訃報のニュースで
今年は例年よりもたくさんのアーティストを見送った気がします。
いや、たぶんそうではなくて
自分にとって近しいと感じる方をたくさん見送ったのでしょう。
私が思春期のころはバンドブームでした。
ユニコーンもその時期にデビューしています。
テレビで歌番組がいくつも放送されており
ミュージックビデオが30分流されるだけの番組があったり
(ミュージックトマト(略してミュートマ)です)
成長過程のどこかしらに音楽がありました。
私自身がピアノを11年間習っていたから
鍵盤を弾く人に弱い傾向はあったけど
誰かにものすごくハマるということはなくて
満遍なく聞いていました(ユニコーンも当時はそんなではなかったのです)
BUCK-TICKもTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTもそうやって知ったバンドで
海外のアーティストが某音楽番組で出てこなくなったときに
THEE MICHELLE GUN ELEPHANTが即興演奏したのも
私はリアルタイムで見ていました。
父も3年前に見送りましたし
自分自身がそういう年代になったんだとわかってはいるけれど
それでも慣れることはできません。
自分と直接接点がない方であっても
大好きだったり、大きな影響を受けた方でなくても
かつての自分と同じ時を過ごしていた方が亡くなるのは
どうしようもなく悲しいと思ってしまう。
なんでこんなことを書き出したのかというと
チバさんのことをごく最近お見かけしていたから。
私の推しであるユニコーンの奥田さんがチバさんと親しいらしくて
フェスで一緒の写真をどこかで拝見したんです。
かつてマツダスタジアムで演奏したのと同じミッシェルの曲を
普段のステージでは見せない様子で弾く姿を見て
1分ちょっとの短い曲なのに思わず泣いてしまいました。
私はミッシェルやチバさんに特に思い入れはないのかもしれないけれど
彼の音楽は私の生きてきた過程に確かにありました。
だから訃報を聞いたときは
自分の一部がなくなってしまったかのようにしんどかった。想像以上に。
私は父も祖父も突然死や突然死に近い形で亡くしています。
明日も会えるが絶対にやってくるなんて保証はありません。
私にはたくさんの会いたい方がいるし
たくさんのやりたいことがあるし
知りたいことがまだまだたくさんあります。
でも私にいつ終わりが来るかなんて
占いである程度の見当はつけられても
そのとおりに来るかなんて誰にもわかりません。
いつかって言えるのは幸せなことだなって思っているけれど
そのいつかに絶対なんかないと思う私がいます。
いつかなんて言ってたら永遠に手に入らなくなるかもしれないから
だから今日も動くのが嫌いな自分を奮い立たせて行動しています。
今年大事な方を亡くされたファンの皆様の心が
少しでも癒える日が訪れますように。