占いなんて | 伊藤 恵利子/あなたの財の運気を回す【大阪・オンライン】

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生まれてから一度も占いに接することなく生きてきた人っているのでしょうか?

 

 

テレビの情報番組で毎日のように星占いなどが流れ、
無料で楽しめるサイトがインターネットにたくさんあります。
国のまつりごととして骨で吉凶を占った昔からすると、
とてもカジュアルに楽しむことができるようになりました。
 
 
軽いノリで、話のネタで、そうやって占いと接する人は多いと思います。
 
 
そんな風に身近になり
気軽に扱えるようになった占いを
学んだり生業にしようとした人たちのきっかけって何だったのでしょう?
 
 
私の場合は生きづらさでした。
 
 
四柱推命を学ぶ前、たくさんの占いやセッションを受けました。
自分の輪郭がわからなくなって
自分がドロドロと溶けたスライムみたいに思えたからでした。
 
 
自分がどんな形をしていたのか、思い出したかったのです。
 
 
【自分とは何者なのか】
それをなぞることで自分を思い出せるような気がして。
 
 
 
 
それは私の場合は占いでしたが、占いでなくたっていいと思います。
人であったり、スポーツであったり
様々なものがあります。
 
 
占いにはまりやすい人が多いのは

外側から自分に答えをくれるからなのだと思う。

 

 

人は様々なことで答えあわせしながら生きています。
自分の答えに自信がないとき
外から「あってるよ」と言われたら、ホッとすることだってあると思います。
 
 
自分の力ではどうしようもできないことに出会ったときが特にそうでしょう。
 
 
その対象にすがったり、依存したりすることもあるだろうけど
その全部が正しいわけでもなく、間違っているわけでもないような気がします。
 
 
「占いに頼るなんて」
「占いなんて」
そういう言葉を口にする人たちがいる。
そう言う方たちは
何かで答えあわせをしなくても生きてこられた人たちなのかもしれない。
 
 
それは私からしたら、とてもうらやましい人生です。
答えあわせを必要としない人生は幸せだと思うから。
 
 
でもそうであるなら、どうしてそんな風に占いにつっかかるのでしょう?
占いをする人や事柄は悪なのでしょうか?
 
 
占いは言葉を使う。
言葉は【祝い】ともなるし【呪い】ともなりえます。
悪意を持って人を操ることは、相手が弱っていればいるほど簡単です。
 
 
けれども、悪い人というのはどこにでも存在する。
占いというだけで「占いなんて」と思う根拠はどこにあるのでしょう?
目の前の人が必要としているものを
自分の価値観だけで取り上げられる権利はきっと誰にもない。
 
 
目に見えるものだけが真実ではないし
目に見えないものが嘘だということでもない。
どちらも存在しているはず。
 
 
私たちにできるのは、人間として、今を生きるだけ。
あなたが持つあなただけの価値観は
誰にも否定されるものではない大切なものだ。
答えあわせをしてもいい。
頼ってもいい。
あなたがあなたらしくいられるのなら。
今日も明日も、どうか生きてほしいと思います。