使命なんていらない① | 伊藤 恵利子/あなたの財の運気を回す【大阪・オンライン】

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こんにちは、えりこです。
ここ数日、星の話を書いていてとても楽しかったのですが…もやもやした気持ちが取れずにいました。
星の話自体に問題はなく、ずっと探っていってたら、私自身の問題であることに気づきました。
いま書いてても思うのですが、上手くまとめすぎているというか、上っ面ばかり気にしてるとか
私はまだ外にいい顔しようとしている
そんな自分に気づいたのです。

他人によく思われたい。
この想いは長いこと私の中にありました。
もちろんいまも完全には消えていません。
その根っこは、母と私の関係にさかのぼります。

私には産まれてすぐ亡くなった姉がいます。
その後母には子供ができず、6年後にようやく産まれたのが私です。
母なりに必死に育ててくれたのだとは思いますが、褒めて育てなかったと自信満々で語られたり、変な笑い方をしたら困るからと赤ん坊の私に一度も笑いかけなかったとのことです。

小さい頃から自分がそこにいていいのか、よくわかりませんでした。
どうすれば「いていいよ」と言ってもらえるのか、そればかり考えていたような気がします。
自分の気持ちを殺して相手に合わせて生きていた私は、本の世界にのめり込んでいきました。
本の中では自由だったから。
住んでいたところの近くに市の中央図書館があったこともあって、司書の方に覚えられるようになるほど通いつめていました。
本ばかり読んでいたので、どこか冷めた子供だったように思います。

小学校時代の私は学級委員を何度もつとめるような子供でした。
その反面、忘れ物や遅刻が多く、問題を抱える子でもありました。
いま思うと、母の気を引くために無意識にそうしていたのではないかと思います。
いまでも思い出すのは小学4年生の3学期のことです。
自分ではきちんと終わらせたと思っていた宿題を担任に咎められ、親に反省文を書いてもらえ、と言われたのです。
激怒した母は筆箱で私に往復ビンタを何度も繰り返しました。
死にたい、と言っても、じゃあ死ねば?と返されたり。
姉の話はすでに知っていた私は思っていました。
私ではなく姉が生きていたらよかったのか?
私のことをどうして認めてくれないの?
歳を重ねるにつれてこの想いは強くなっていきました。


冷静に家族を見られるようになったいまは、加害者のように見える母も元被害者であったことを理解しています。
長くなりそうなので、明日に続きます。
お読みいただき、ありがとうございます。