放射線治療を毎日受ける日々が続きました。 


治療が始まると、少しずつ体調にも変化が

あせる

もちろん放射線治療の副作用というよりも、痛みに対する薬の副作用の方が大きかったかもしれませんが。


そんな中、私を支えてくれたものが3つラブラブ


 1つ目は、母のお弁当


食事の時間になると、温かい白ご飯の匂いがどうしても気持ち悪くなってしまい、だんだん温かいご飯が食べられなくなっていきました。 


そんな私を見て、面会に来てくれていた母が、自宅から冷めたご飯を持ってきてくれるようになりました。 

もちろん主治医や看護師さんに許可を得て。


それは、高校生以来のような、お弁当箱に入ったご飯。 


「なんだか懐かしいな」 


そう思うと、ちょっと嬉しくなりましたニコニコ


体重がどんどん落ちていたので、主治医からは、 


「とにかく手術前に体重を落とさないように。食べられるものなら、何でもいいから食べてください」 


と言われていました。 


だから、この頃は「ちゃんとした食事を食べなきゃ」ではなく、とにかく食べられるものを食べる。


例えアイスでも爆笑 


 2つ目は、大学のこと 


ちょうど大学の試験の時期でもありました。 


入院中だったので、普通なら試験を受けるのも難しかったと思います。 休学にするような事態。


でも、大学の先生がいろいろと調整してくださり、病棟で試験を受けられるようにしてくれました。


 体調はあまり良くなく、薬の副作用で頭がぼーっとすることもありました。


 ベッドの上で教科書を開いて、それを見るだけで精一杯。 気づいたら寝ていることもしばしば笑い泣き


それでも、勉強をしている間は、少しだけ病気のことから離れられているような気がしました。 


私が目指していた社会福祉士の国家試験を受けるためには、必要な科目の単位を取らないと受験すらできません。


成績の良さよりも


「今できることをやっておこう」 


そんな気持ちで、少しずつ勉強していました。 


入院していたのは、在学していた大学の医学部付属病院。 


同じ大学には看護学部もあったので、勉強している様子を見て、実習に来ている学生さんから、 


「もしかして、社会福祉の学生さんですか?」 


と声をかけられることもありました。 


医学部の学生さんからも、同じように声をかけてもらったことがあります。


若い研修医の先生方もとても気にかけて下さりました照れ


 病院の中で、自分が通っている大学とのつながりを感じると、なんだか親近感がわいてきました。 


3つ目は、友達 


そして、何より大きな支えになったのが友達でした。 


大学の帰りに、よく面会に来てくれました。 


大学であった出来事を話してくれたり、講義のノートをコピーして持ってきてくれたり。


 中でも驚いたのが、いつも講義中には隣ですぐ寝てしまう友人が、この時ばかりは頑張って、とても詳しいノートを作ってくれたこと。 


「いつも寝てるのに……」 泣き笑い


と思いつつ(笑)、本当にありがたかったです。 


そんな友人から、 


「交換日記をやろう!」 


という提案があり、仲の良い3人で交換日記を始めることになりました。 


日々の出来事や、そのとき思っていること。 


私の体調を心配してくれながらも、大学であった面白い出来事なんかも書いてくれていました。 


病院のベッドで過ごす毎日の中で、 


「次は何が書いてあるんだろう?」 


と、自分の順番が来るのを楽しみにしていました音譜


病気のことばかり考えてしまいそうな毎日の中で、友達との交換日記は、私をいつもの日常につなぎとめてくれていたような気がします。 


今でも宝物として大事に保管していますラブ


食べること。 


勉強すること。 


友達と話すこと。 


どれも特別なことではないのかもしれません。 


でも、この時の私にとっては、その


「いつものこと」


がとても大きな支えになっていました。 


そして、たくさんの人に支えてもらいながら、体が少しずつしんどくなっていく中で、放射線治療を最後まで終えることができました。 


合計40.8グレイ。 


今後、照射範囲が固くなる線維化、リンパ浮腫、関節の動きの制限などの副作用、私の場合は股関節にかかり、骨折のリスクが上がるとのことガーン

でも命にはかえられないびっくりマーク


ここまで来たら、あとはもう、 


「どうか、がん細胞に効いていますように」 


そう祈るばかりでした。


次はいよいよ手術・・・。