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英語で「子育て」は

Raising Children と書くそうです電球




「raise」には、「上げる、持ち上げる、起こす、高める、扶養する」などの意味があります。




単純に、食べさせる、住まわせる、お金を出すといったSupport サポートだけではなく

かといって、能力を高めるだけでもない。




Raising Children には、子どもの心身の成長を支え、育んでいく、そんな「育てる」という意味が含まれています。




一方、日本語の「子育て」。

「育てる」ってそもそもどういうことなのでしょうか。




たとえば、花を育てるとき。

私たちは


無理やり芽を出させるわけではない。

引っ張って大きくするわけではない。

こちらの都合で花を咲かせられるわけではない。

そして、色や形を望み通りにコントロールできるわけでもない。


そんなことは当たり前で、水をあげて、日の光が当たるようにして、必要ならば支えて環境を整える。そして、どう育っていくかはその花自身に委ねる。

どんな花も咲けばただただ嬉しくて

「きれいだね」って声をかける。




「子育て」は、この「花育て」と実は一緒なんじゃないかなと思うのです。




子どもを親の手で無理やり完璧に完成させることではなくて、その子自身が安心して自分の花を咲かせられるように、ただただ支えることなのだと思うのです。




そんなことを考えていたら

思い出したことがあるんですけど。




昔よく母が「植物はいいわねぇ、水をあげたら育ってくれて。」と嘆いていました。




これ、私に向けられた皮肉なんですけども笑




つまりこれは、どういうことかというと


母は植物にはそのまんまのびのび育つことを任せられたのに、私には「もっとこうなってほしい」「こうしなさい」があったということですね。そして、全く思い通りにはならなかったという、、笑




とはいえ、自分で言うのもアレですが、私を育てるのはなかなか大変だったと思います。

それに、当然花と私では愛情も責任も違いますし、親心から私を植物のようには育てられなかった母の気持ちは分かります。




なぜならば私も同じなのです。

彼らの気持ちを尊重したい、彼ら自身を無視するような、型にハマった「子育て」はしたくないと思いながらも、私が思う幸せを無意識に押し付けてしまうときがあります。




それは、決して子どもを私の思い通りの完成品にしたいからではなく、「この子が困らないように」という親心からだったりするのです。




そして親として、私の中にある

「ちゃんと育てなければ」を背負っている気持ち。




でももし「子育て」が「ちゃんと育てる」という意味ではなくて、「その子自身をみること、その子が安心して自分の花を咲かせられるように、ときには支えること」だとしたら




私たちはもっと肩の力を抜いていいのかもしれません。




育てているつもりの親だって

育っている最中なのです。


親も子も

それぞれの花を咲かせられたら最高ですね!







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クロワッサンをがぶっと食べて
おいしぃ〜目がハートと思っていたらふと。

「無敵って最強だなぁ、、」
そんなふうに思いました。



だって、敵がいないんだもん。
誰とも戦わなくていい。
自分を守る必要もない。
常に自分が満たされ、幸せなんだもん。
めっちゃ楽じゃないですか?



絶対に許せない!



奥歯を噛み締めて、踏ん張って立ち
そうやって相手を否定してなんとか生きていく。

もうこれ以上傷つきたくない。
強くなりたい。
何言われてもされてもへっちゃらになって
私は最強になるんだ。



私にもそんな時代があって。
毎日ノートに「強くなりたい」って
書いていました。
でもあの頃求めていた強さは
結局、何も感じないようにするってこと。
そんなの無理ですごく苦しかったです。



もちろんそれも大事な自分の一部だし
それを手放すタイミングだって人それぞれ。



それが生きる上で
大事なものになっていることだってある。
誰が何を抱えて生きているかなんて
他人からは想像を超えているわけだから。



必要なだけぎゅーって握りしめながら
いつか不要になったら
パッと離せたらいい。



あのときの私が想像もしなかった今があるのは、やっぱり「強くなりたい」って苦しみ抜いた私があったから。感謝しかない。



「ありがとう」
クロワッサンまみれの口で言うのもなんだけど。
自分へのありがとう。



ついでに。

悪役を買ってくれたあなたにもありがとう。
あなたも苦しかったね。
あなたも、もう戦わなくていい場所にいてくれたら嬉しいです。

それが最強で最幸。








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って書きながら月曜日は更新できませんでした。月火木金に更新目標。
伝えたいことはたくさんあるんだぁー!




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先週からのテーマ「怒り」


そして今日は

自分が守る怒りが刃になるとき




これまで怒りについて

いろいろと書いてきました。



まず怒りは自分を守るための

必要な感情だということ。



私たちは

「傷ついた」「怖い」「悲しい」

「大切にされていない」と感じると

それを危険として捉えます。



すると、考えるより先に身体が反応します。

心拍が速くなったり

筋肉が緊張したり

呼吸が変わったり。



身体が「何か起きてる!自分を守らなくちゃ!」と非常事態に備えるのです。


そのときに立ち上がる感情のひとつが「怒り」です。



本来、怒りは危険から自分を守るための反応。

非常事態が終われば、身体も落ち着き、心や頭にも余裕が戻ってきます。



これが理想です。

ところが、怒りをそのまま相手にぶつけたり

攻撃したり、関係を断つと

人との間にギクシャクした関係が

生まれることがあります。



その結果、自分自身も苦しくなってしまう。

「怒り」が嫌われるのは

こうしたところにも理由があります。



では、自分を守るために生まれた怒りが

どうして「刃」になってしまうのでしょうか。




その大きな理由の1つは

怒りが「自分の安全を取り戻すための行動」を促す感情だからといえます。




つまり

「これは私の期待と違う!」

「危険だ!」

「なんとかして変えて、安心したい!」

そんなエネルギーです。




たとえば

「子どもが片付けない」という状況。

「またか、、」→

「何度も注意しているのに」→

「私の言葉を受け止めてくれていない」→

「私の思いを分かってくれていない」→

「私が尊重されていない」→

「それは嫌!この状況は許しがたい!」→

 身体が緊張して戦闘体制に→

「この状況を変えなくちゃ!」→

 子どもに強く言う、責める、怒鳴る→

 言うことを無理やり聞かせる、という状況。




このように、怒りは自分を脅かしていると感じた相手や状況に向かうことがあります。そして、もう一つ重要なのは、怒りは「相手に原因がある」と感じやすい感情だということです。




悲しみなら「私は悲しい」と

自分の内側に意識が向きやすい。




でも怒りになると

「あなたが私を傷つけた」

「あなたがちゃんとしないから」

「あなたが分かってくれないから」

と原因を相手側に置きやすくなります。




だから「自分の苦しさを何とかしたい」という反応が「相手を変えなければ」という行動になりやすいのです。




ここが「刃」になるところ。




実際、相手に怒りを強くぶつけると

一瞬だけ楽になることがあります。




相手がだまる。

泣く。

謝る。

言うことを聞く。




すると「やっとこの苦しい状況が変わった」と感じられますし、自分を脅かしていた状況が一時的に収まったように感じられるからです。




でも、ここには大きな落とし穴があります。

いつの間にか

「本当は何が嫌だったのか」

「私は何を分かって欲しかったのか」

「本当はどうしたかったのか」ではなく


「相手をどうにかすること」そのものが目的にすり替わってしまうのです。


そうすると、本来守りたかった自分の気持ちが置き去りになります。相手にも伝わりません。だから、同じことが形を変えて何度でも起きます。




さらに、相手を追い詰めたあとに残るのは

「言い過ぎた」

「また、怒ってしまった」

「こんなことをしたかったわけじゃない」

という後悔や罪悪感。




関係が悪くなれば「どうして分かってくれないんだろう」「結局私はひとりなんだ」と、また問題がすり替わって、延々にモヤモヤのループが続いてしまう。




自分を守るために生まれた怒りが、いつの間にか自分を傷つける「刃」にもなってしまうのです。




だから大切なことは

自分の本当の気持ちに

自分が気づいてあげること。

そして怒りではなくそれを相手に伝えること。




「何回も靴下を脱ぎっぱなしにしないでってお願いしているのに、リビングに脱ぎっぱなしになっている靴下を見ると、ママのことまで無視されているように感じてとっても悲しいの。脱ぎたくなったら、洗面所で脱いでくれる?」(私)




怒りを感じて、自分の本当の気持ちに気づく。

そして怒りを相手に伝えるのではなく

本当に嫌だったことときっかけとなった嫌だったこと、その両方を相手に伝える。




難しかったら一緒に練習していきましょう!




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なぜ
私たちは「怒り」を嫌うのか


あなたは怒ることが好きですか?

「めっちゃ好きです!」という方、います?




もちろん、中にはいるかもしれません。

でも多くの方は「怒っている自分」はあまり好きではないんじゃないかなと思います。


そして、怒られることも好きではないですよね。

自分に向けられた怒りではなくても、目に入ればそれも心地よいものではありません。





では、なぜ私たちは怒ることも怒られることも嫌う傾向にあるのでしょうか。




昨日の記事で

「怒り」は自分を守るアラーム

という話をしました。




怒りを感じたとき、いったい私たちの脳では何が起きているのでしょうか。




例えば、何か出来事が起きる。

脳がその出来事を「自分にとって危険・脅威かもしれない」と受け取る。


ここで重要なことは、実際に危険かどうかではなくて、自分の脳がその出来事をどう受け取ったか、ということ。


(この受け取り方は人それぞれ。過去の経験や体調、疲労感によっても変わります。)




すると、脳の扁桃体などが素早く反応し、自律神経を通して身体を「戦う/逃げる」状態に切り替えていきます。




心拍が上がり

呼吸が浅くなり

筋肉が緊張する。




そして「なんとかしなくちゃ!」と強いエネルギーが生まれる。




つまり怒りは、考えてから「よし怒ろう!」と自分で選んで怒っているわけではなく、脳と身体が危険かもしれないと「反応」した結果として私たちの中で立ち上がってくる感情なのです。




だから決して怒りは悪者なのではなく

脳はむしろ「なんとかして自分を守らねば」と

怒りを使って一生懸命に警告を与えてくれているのです。




とはいえ、この怒りが生まれたときに起こる身体反応(心拍の上昇や緊張など)は、日頃あまり感じたいものではありません。むしろ、日常ではなるべく鳴ってほしくない警告アラームではあります。だって、ずっとアラームが鳴っていたらずっと戦闘体制な訳ですから身体が持ちません。心も疲れます。




しかも、怒りによって反応的に取ってしまう行動や、その代償として残る周囲との関係にも悪影響が起こる場合があります。




実はここに私たちが怒りを嫌う理由があるのです。「怒りは自分を守るアラームのようなもの」と言いました。それなのになぜそのアラームが相手に向かってしまうのか。




次回は怒りを相手にぶつけてしまうことについて書いていきたいと思います。




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こちら、私の想いと自己紹介です!



『怒りたくない』の落とし穴


子どもに何度言っても片づけない。

脱いだ服はそのへんにポイ。

使ったものは出しっぱなし。


何度伝えても同じことが繰り返される毎日。




「もう!何回言ったら分かるのよ!

今すぐ片付けなさい!」




・・これ、私です不安




怒りって、自分の期待とは違うことを急激に変えようとするエネルギーなのですが


だからとってもパワフルだし

それなりの効果もあります。




でも。




怒りを使って

出来事自体を期待通りに修正できても

なぜかそのあとも怒りが消えずに

イライラが止まらないときってありませんか?


例えば。

赤ちゃんがママに抱っこしてもらいたくて

「うわぁ〜ん」って泣くことがありますよね。

それで抱っこをしてもらった途端ご機嫌になる。

さっきまでの「うわぁ〜ん」はどこへやら。


でも私たち大人はこうはいかない。


なんでもう片付いたのに

イライラが止まらないんだろう?




実は「片付けなさい!」には、もっとたくさんの想いが乗っているからなんです。

単純な親心としての怒りだけではなく

その奥にはショック、がっかり、悲しみ、傷つきが隠れています。


そしてこれらの想いが本当に求めていることがまだ期待通りになっていないから、怒りが消えないとも言えます。


例えば私が怒りを感じたきっかけは

「子どものやりっぱなし」であっても

本当に求めていたことは

「片づけ」だけではない可能性があるということ。




なんでこんなに身体の底から沸き上がるほどの怒りを感じるのかな?

私は何がこんなに嫌だったのかな。

私が本当に求めていることはなんだろう?




私の場合、問いかけてみると

こんなことが出てきました。




何度も同じことを言わなきゃいけないことが嫌。

↓

私が言っていることや想いを無視されている。

↓

つまり私が尊重されていない。

私の想いを大事にされていない。

それがすっごい嫌!!!




という感じ。

起きた事実はただの「やりっぱなし」。なのに私はその起きた事実に勝手に自分の解釈や意味づけをしてしまっていました。




だからそれを変えたくて

怒りのパワーを使う。

でも一回落ち着いて考えてみる。




本当に子どもは私を尊重していない?

私を大事にしていない?




いや。そんなことはないんです。

ただ単純に「片付けるのを忘れてしまった」

「片付けよりも心を奪われたものがあった」

それだけ。




でも私は生まれ育った環境の中で

自分の感情を無視されることが多々あった。

だからここにものすごく反応してしまうのです。




伝えても伝えても状況が変わらない

という出来事を前に

過去に感じていた本当に嫌だったこと

心の底から変えたかったこと

だけど伝わらなかったこと・・

その苦しみがほとんど無意識に

呼び起こされてしまうのです。




危険!

自分の思いを無視されてる!

また自分の人生を邪魔されてしまう!

なんとかしなくちゃ!




そんなふうに昔に備わった私を守るアラームが

今も鳴ってしまうのです。


このアラームは

自分らしく生きて行くために

私の大事な大事な大事なものでした。




でも。




「そのアラーム、本当に今も必要?」




ってことなんですよね。


そして、ここに気づくためには

怒りやネガティヴな感情は

実はとっても大事なものなんです。




だから、「怒りたくない」。

これは多くの親が思うことではあるけれど

私は怒りを感じたときこそ

「生きやすくなるチャンス」だと思っているし




ぐっと我慢したり

押し殺してなかったことにしたり

怒りを感じたことを悪く思ったりなんて

しなくていいと思っているし




絶対にその怒りには理由があるはずだから。


自分と向き合う時間を作ってあげてほしいなって思っています。




明日は更に深く、私たちが「怒り」を嫌う理由について書きたいと思います。




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