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働きアリのブログ

働いても働いても遊べません

休日の午後5時。
5時なんて普段利用しないような電車に乗込んだ。

その、なんとなく不釣り合いな二人は私たち夫婦の真正面に座っていた。
買物帰りの田舎マダムや、遊園地帰りのお子ちゃま方に混ざって、その二人は座っていた。


とてもじゃないが、まだ日もあるうちから、その格好はないだろうという女性に目が留ってしまった。
「ねぇ、今日は日がいいのだっけか?」
「いやぁ、確か、普通の日だったけど。先負とか、赤口とか・・」
旦那とつい、そんな会話をしてしまった。



キャミソールのような肩ヒモに薄い生地。淡いピンクのドレス。ここまでは結婚式帰りのようだが、髪はぼさぼさでだらしなく三編みに束ね、疲れた中年の顔には法令線と紅だけがくっきりしていた。

眉を整えたり、口のまわりのうすら髭も手入れされた形跡がない。
Tシャツで陽に焼けたのか、半袖の形に腕と首ばかりがたくましく黒く、働きものの節くれた手には、銀色に光る結婚指輪とデパートの紙バックが添えられている。


何より私の目を惹いたのは、その足元であった。
生足と言われる虫刺されだらけの素足には、ショートブーツ。
一瞬は長靴かと思ったくらいだ。だが、一応はヒールがあるので、パンプス・・・いや、やはり形状からは秋冬に履く、ブーツの類である。


改めて頭のてっぺんから足元まで見回してしまった。
大変失礼な事だと思う。人間、見た目がどうであれ、その人がそれで良いというのであれば、それでいいのだ。


この、見た感じアラフォーな女性の隣には、20代後半の男性が座っていた。
二人で手を繋ぎ、楽しそうに会話をし、無言になると見つめ合う。
男性は普通にポロシャツを着てジーンズでスニーカーだが、なんとなく疲れた感の漂う青年である。
なんと表現したら良いだろうか。
普通の・・というより、人生に疲れた感じの。


女性はしきりに「お花の・・・。○○ちゃんが・・・。」と消え入るようなかわいらしい声で、幼児のようなイントネーションで話し、男性が顔を覗き込みながら、ニコニコして受答えをしている。



「不思議ちゃんっていうのかな。いい歳をして。なんだかなー」と旦那がボソッと言うので、
「いや」と否定した。



あれは、幸せの一つの形なのだ。
どう見ても女性は、家族持ち。子持ち。家に着いたら、夕飯の支度をしなくてはいけない。
ほら、あれを見てごらん。デパートの紙袋にお惣菜やのビニール袋が入っている。たくさん。
家族は一人や二人ではない。

あの腕を見た?あれは、子育てをしているお母さんの手。なりふり構わず、子どもの後を追いかけて公園に出張っているのかもしれない。
決して太っているわけではないが、たくましい腕と足は家事やらなんやらで、構わない身体だ。
化粧も普段しないのであろう。染みも隠すすべを知らない。髪も束ねてみたが、髪を整えるといえば、三編みしか思い浮かばなかったのだろう。

よそ行き。特別に若い彼のためによそ行きを着てみた。他に気のきいた女らしい服がない。
とびっきりのよそ行きを着てみた。あるいは、他に思いつかなかったので、思い切って買ってしまったのかもしれない。他へは着ていけないような服を。

でも靴はどうしようか?時間がない。きっと自由になる時間かお金が不足しているのだ。
ええい、いいや。これでも恋する女は十分きれいなのだから。


普段はあんな話し方はしないのかもしれない。だって、普通に会話が成り立たないじゃないか。
あれは、彼女の精一杯の演技だ。
普段と違う、妻でない、母でない、嫁でない。女を演じる演技だ。


でも、きっと、下りなければいけない駅で、ご近所の人に会ってしまうかもしれない駅で・・・。
魔法は解けるのだ。


いつもの彼女に戻ってしまうのだろう。
そんな彼女を見て、戻って欲しいとか、帰らないでくれとかは言わない彼氏なのだろう。

美辞麗句を並べても、所詮、本気の恋にはならない彼氏。
そんな彼氏の本性も見抜いていてシンデレラを演じる彼女が居る。

足元に履いたショートブーツが不釣り合いなように、今の彼女が一生懸命、魔法にかかったふりをしているようだ。


「あれはあれで、幸せなんだよ」そう言うと旦那は納得しないように答える。
「そうかなー。普通にしていれば、普通のおばさんなんだけどなー」
「彼がそれでいいって言うなら、女は何にでもなるよ」
「あの彼は、なんて言うか。危ない感じだな(笑)。大学の時麻雀にハマって辞めた奴があんな感じだった。人妻と付き合ってて。あっちこっちの人妻と付き合って小遣いもらって暮らしてたなー。あいつ、どうしたか?」

「あのね。知ってる?シンデレラの話」
「知ってるよ」
「魔法をかけたのは、魔女じゃないんだよ。魔法はさ、シンデレラ自身が自分にかけたんだよ。12時になったら帰るって」

ふーん。そんなもんか。女は大変だなーと旦那が言う頃に車内が混雑して、私たちは話題を変えた。



電車が郊外に1時間近く走ったころ、車内が空いてきて再びくだんのカップルが目に入ってきた。


「何かあったんだろーか?」興味津々で私が旦那をつつく。
「知らないよ」

きっと下りる駅が近いのだ。二人とも真面目な顔してる。

「勝手に怒ったんじゃないの?シン母ちゃん」
ああ。シンデレラ+母ちゃんね。
あはは。


観止めてから2駅ほどたつと、彼女が立ち上がる。

ここで下りるのかー。駅前にはほとんど家のないところだ。
奥に農家が大規模に畑をやっている地域だ。
電車が停車すると彼女が無言でホームに下りる。続いて彼もドアまで立つが車両は下りない。

二人で手は繋いでいる。
車両のボディのあちらとこちらで堅く手をつないだままでどちらも動かない。

「電車発車しまーす。電車から離れてください」

やっと手を放すと、ドアが閉まり、電車が動き出した。

シン母ちゃんがいつまでもホームに立っている。
なんていうか。
「マディソン郡の橋」だったけか。そんな映画を思い出した。

切ない。

だから不倫って燃えるんだろう。純粋であるから時間は短い。


恋っていいなー。

「なんか、ドラマみたいだね」

と私が小声で言い終る時に、彼氏が携帯電話を持ち出した。


「お疲れ様っす。ええ。終ったんで今から戻ります。あ?最初に。ええ。貰ってますんで。今日はあと1件ですか?はい。次は渋谷ですね。あ。後でまた電話しますんで」
どこかに報告しながら車両を移動していった。


「そういう事か」
「そういう事ね。いくらなんだろう」
「んー。内容によるねー」


不純な夫婦は不純な想像を同時にした。

「そうは言っても、あの男はないだろーー」
がっかりだよ。
私の妄想こそが一番不純である。

通勤時間が長い。


長らく電車に立ったまま揺られるのも、混雑する中、肩掛けバッグで小突き回されるのも嫌なので、機会があれば、空いた席に座るようにしている。
姑息で嫌らしいことに、高校生を見れば、どこで下りるか分かるので、なんとなくその子の近くに立ったりもする。


その子が立ち上がれば、「ああ、やっぱり」と思う自分が嫌らしい。また、そんな自分を汚く思いながらも、今読み進めている本が分厚いので仕方ないという言い訳もしてみる。
大人のくせに。苦しいな(笑)。


そこで改めて車両の中を見回すと、同様にすぐ下りる人の前にはいつも同じような人が立っているような気がする。
別に悪いことではない。
シェアすることは悪いことではない。
そう思うのだが、自分が行うのは、なんとなく姑息だと思えて仕方ない。
きっと計算尽しなのに「ラッキー!」を装った上、誰かに礼を言わないから後ろめたいのだろう。


以前、郊外に伸びる私鉄が地下鉄と乗入れしている線を利用していた。

途中、JRの大きなジャンクション駅でも地下鉄は停まり、そこから一層、乗換えの人が地下鉄になだれこんで混雑がひどくなる。

ある朝、乗換え階段近くの車両でシルバーシートの前に立っていた。
大勢の人が乗込む中、白杖の人が一人、入ってきた。

白杖の人は乗込むとすぐにシルバーシートの端の手すりに手をかける。
端に座っていたオジサンが『ぉぅ』と小さい声を上げて、その手に触れながら立ち上がった。
白杖の人は『ども』とちょっと頭を下げて空いた席にすぐに入れ替わった。
下りる人の最後について座っていたオジサンがジャンクション駅で下車した。



ほんの一瞬だったが、混雑の中、見事な席替え連携プレーだった。


その後何度かその二人を見かけた。同じ電車で同じ車両と決めているらしい。



いつだったかは、
「昨日は」
「うん、風邪ひいた」
という会話だった。どちらかが電車に乗らなかったのだろう。



いつだったかは、
オジサンが白杖の人に
「おう!こっち!」と声をかけ、座席の位置がズレたのを知らせていた。
位置がわかるとあわてて下りていった。



そもそも、この二人はどういう知合いなのか。
どうして、このオジサンは毎回、この人に声をかけるのか。

何回かこの二人を見かけたが、名前を呼び合っている風はなかった。
お互いが紹介しあう時間があるとも思えない。
この二人が接触する時間は席を替わるほんの2・30秒でしかないのではないか?



名前も知らない、ただ、相手が席を必要としている。
オジサン自身はその駅で下りる。
せっかく下りるなら、この人に座ってもらおう。(譲るのではなく)
白杖の人はお陰でいつも座れる。

このジャンクション駅から乗込んで座れるなどということは、「ラッキー」以外の何者でもない。

実際、揺れる地下鉄において、目の不自由な人が安全に乗車するには座っているほうがいいのだが、それが誰かに『譲ってもらう』ものでなければ成立しないのは、気の毒であると思う。
空いた席に自然に座れるほうが気分的に楽だと思う。
たとえそれがシルバーシートでも。


様々な事情を全部呑み込んでこの二人の席替えプレーは行われているのかもしれない。または、そんな事全く気にせず、ポンポンとやっているだけなのかもしれない。


こんな風にサラリとやってのけたら、本当の意味での社会人で大人だ。

下心満載の私なんかは、ただ恥ずかしいばかりである。
(お礼を言って欲しいとか、譲ってやったとか気持が前に出るのだ)


50代半ばの小柄で細っこいオジサンが、バネ仕掛けのオモチャのように、
「おぅ!」と声をかけ、「ども、ね」と返される。


そこに驕りや、憐みや、押しつけはないように見える。

大きめに手を振って車両を下りるオジサンの後姿が、「いいってことよ」と言っている。
それが、白杖の人に見えないからといって、オジサンは気にしない。


かっこいい!


こんな二人を知っている。


それでも座っている高校生の近くで(正面に立つほど勇気はない)、何気なくを装いながら手すりに掴って立つ自分が情けない。


さっさと分厚い本を読み終えればいいのだ。
本は「薔薇の名前」。まだ上巻の半分までだ。


よっちゃんは、真面目さが取り柄の好青年だった。
だったというのは、過去の話である。今は好中年だろう。


よっちゃんは、働き・アリ―と最初の会社で同期、で、次の会社でも同期。
おまけに利用する駅も一緒。
趣味も同じで話も合うし、いい仲間だった。
最初の会社ではプロジェクトが違い、仕事場が違うのでたまに会う程度だったが、
次の会社では同じ仕事をすることもあり、朝・夕の通勤は同じ時間であることが多かった。


よっちゃんの外見について書いておく。
色白で(お母さんにそっくりだった(笑))、物腰が柔らかで物静かに話し、少し長めにしているクセッ毛で目が大きく、今で言うイケメンの部類だった。


あるプロジェクトがはねて、無事スタートを切った後に土曜日に慰労会と称して、メンバー全員でレジャーランドで一日を過ごした。会社自体が若かったので、そういう行事は多かった。


帰り道、よっちゃんと私は同じ電車に乗り、いつもの倍近くは混雑している電車の中で、図らずも身体密着で立たざるをえなかった。(当時私たちは20代前半。お互い花盛りであったと思う。)


二人とも遊び着であったし、土曜日の終電ちょっと前、酔客があふれる電車の中でなるーーべく身体をくっつけないようにしながら、それでも付いちゃったらごめんね状態で、ちょっと気まずくもあった。


色々な話をしていたのだが、よっちゃんがちょっと気を許したのか、会社の女の子から告白された話をしだした。
堀ちえみ似の子がよっちゃんに好きだと言ったらしい。
堀ちえみ(似)ちゃんは当初、私とよっちゃんが結婚していると思い込んでいたとか。


そんな話を聞いて私は、
「んなわけないよねー。付き合ってねぇし」とわざとぞんざいに言ってみた。


よっちゃんも笑っていたが、ふとその時、手が触れた。


と。


よっちゃんが視線を逸らしたので、私はあわてて謝った。


「あ。ごめんね」
「こっちこそ」
「ぶはは。なんか、『カップル』っぽくって笑える」と私は笑い飛ばした。


「そうだね」と言いながら、よっちゃんが照れて視線を逸らした。


そりゃ、これだけ近かったら、仕方ないよね。と、私は納得していた。
少しして会話が途絶えている事に気づいて、何か話そうと思ってよっちゃんの方を向くと何やらモジモジしていた。


「どーしたん?」
「あのさー、アリ―さ、ん。いいんだけどさー」よっちゃん、少し顔赤くないか?
「いいの?何が?」
「俺はさー。やっぱ、そういうのは、まずいと思うんだよ」
「え?」


あーー。『カップル』って言葉がね。悪かったよ。冗談にもそんな事言って。誤解されたらいかんよね。
よっちゃんに比べると私なんか、つりあわないんだろうなー。

でも、そんなに神経質にならないでもいいだろうと思いながら、とりあえず謝った。


「ごめん。言葉を選ばなきゃいかんね」


それでも、よっちゃんはこっちを向いてくれない。
男女の友情ってメンドクサイものだと思い、こっちも言葉をかけないでいようと思った。


「とりあえず・・」消え入りそうな小さな声でよっちゃんが顔を寄せてきた。
をぉ?あれ?これって??


ドキドキするじゃん


私もまんざらでもなかった。


「手、どけてくれない?」真っ赤な顔でよっちゃんが言った。
「え?」

「え?違うの?」

「何が?」


手?私の右手は手すりに、左手はバッグの横にある。

よっちゃんが、『あ!』と言い、赤らめてた顔を見る見る元の色白に戻した。
おでこに縦ジワを立てて腰のあたりから、手を引き出した。



背後に立っていたオヤジが『んぐ』っと声を上げた。
「何してんだよ!ふざけんじゃねーぞ!」よっちゃんが珍しく息巻いた。
「何もしてねーよ」オヤジが応酬。
40代位かスーツを着て髪をなでつけていた。
当時の私たちにとってはいい歳をしたおっさんにしか見えなかった。



「てめぇ!ケツ触ってただろ?とぼけるんじゃねーよ」

え?
よっちゃん??
触られてたんで?
え??痴漢ですか?
私??
じゃなくって?


なんだか頭が混乱してきた。
「下りろよ」よっちゃんが、痴漢オヤジの腕を引寄せる。
「何もしてねーゾ。放せよ!」オヤジが怒鳴る。


やがて駅に電車が停車し、よっちゃんがオヤジの手を掴んだまま、いつものように柔和に私に訊ねる。
「どうする?付き合う?長くなりそうだから、帰ったほうがいいよ」


えっと。


駅のホームの端から駅務員がよっちゃん達に走り寄ってくる。

どうしよう。


「俺、ちょっと怒ってるし」くすっと笑う顔を見て『女顔』だったと思い出す。


どうしよう。
どうしよう。
えっと。


まだ車両から下りないまま、私はどうしても気になることがあった。


あの。
やっぱり気になる。


少し俯いておとなしくなった中年オヤジに私は聞いた。どうしても聞きたかった。

「私と間違えたんですか?」



オヤジは私の顔を見た。
よっちゃんは、ああ、そうかという顔をした。
私を触ろうと思って、手を伸ばしたが、間違えてよっちゃんの尻を触ってしまったと。


ややあって、車掌がドアを閉めるホィッスルを吹く。


オヤジは私の顔をまっすぐ見ながら、吐き棄てた。

「おめーじゃ、ねーよ」



え?


ドアが閉まって電車が動いた。
車両にギュウギュウになっていたはずが、手すりに掴る私の周りがサァーーと空間が空いていた。
皆、痴漢の事件と、痴漢に愚問を投げた私を知っている。
被害者になり損ねた私に視線が投げかけられていた。

まるで私が悪い事をしたかのような気持になった。


月曜。
朝、いつものようによっちゃんに会って、一緒に電車に乗った。
あの後、オヤジは平身低頭、謝罪し、よっちゃんは許してやることとして、終電で家に帰ったという。


「なぁーーんかね。嫌だね。どこの誰ともわからん奴に触られるのは」と、笑いとばしていた。

その後、よっちゃんは二度とこの事を話題にしなかった。
私の愚問も誰にも言っていなかったようだ。


よっちゃん的には、オヤジに痴漢されたなんて口が裂けても言えなかったんだろう。
と、同時に私も、あのオヤジの
「おめーじゃ、ねーよ」


が、心に突き刺さって誰にも言えなかった。


その後、会社が倒産するまでの間、よっちゃんと一緒に仕事をしたが、お互い、友情以上には進展せず、『カップル』にはならなかった。