雨、うっとおしいよね。
荷物が多い日は傘は持ちたくない。
特に、今は家から駅まで、車で送迎してもらっているから、雨の日に傘を必要とするのは駅と会社の間の往復だけになる。
駅から会社までは10分ちょっと。
全部で2時間かかる家からの行程のうち、最後の10分だけだ。
できれば持ちたくない。大きい傘は邪魔である。
折りたたみで、撥水性が高くて、とにかく小さくて軽い傘が私のマストアイテムとなった。
そういう訳で、私は滅多に長傘を持たない。
朝、ラッシュアワーの少し前に電車に乗込むと、たまたま私は座れた。
朝から雨だったが、濡れた折りたたみ傘はカバンに放り込んであった。
雨に濡れた折りたたみ傘は重いけれど、こうしておけば誰にも迷惑はかけない。
次の駅、乗込んできた30代のオジサンが私の前の吊革に掴った。
長い傘を持っている。
びしょびしょじゃん。
座っているひざが濡れるのが嫌で、オジサンの傘が私の足に触れないよう、足を少し引っ込めた。
すると、オジサン、
「詰めていいんだ?」と勘違いしたのか、足と傘を前に進める。
いや、嫌なんだって。あんたの傘が。
さらに足を引く。
おお。ええんか。じゃぁ、ずいっと。
やめてよぉー。
・・・・・・・・これじゃ、セクハラ劇場みたいな展開だ。
仕方がないので、足を左横に流す。
すると、オジサン、イイ気になって、座席の端に傘をびったり付けて寄りかかってきた。
右足が濡れるんですけど。
うーん。さすがにこれは、酷いだろう。
言おうかどうしようか?
考えてみたが、次つぎに人は乗込んできて、確かにオジサンは吊革の真下に居るよりも、座席側に寄りかかったほうが楽そうではあった。
んんー。
狭い。
濡れたくない。
オジサンの顔を見上げて、
「め・い・わ・く・ なんですけど」と言葉にせず、顔で意志を伝えてみた。
ずいぃ。
ダメか。
どうも私には、その手の力はないらしい。
嫌だなー。
こういったオジサンが、ずいっと出る相手ってのは、大概、「弱そうな相手」だ。
「弱そうな相手」として認識された私が反撃に出るのは、具体的な行動しかなさそうだ。
それは、「言葉」とか「行動」である。
とりあえず、ガン飛ばしには失敗したようだから、次は声に出すか、この傘を押しのけるかだ。
傘を触って濡れるのはかんべん。
それに、黙って傘を押しのけたところで、このオジサンはまた、事もなげに、傘を動かすだろう。
ここまで座席に傘をくっつけていると、最終的に傘を持つのが嫌で、シートにもたれかけたいのだと思う。
仕方ない。言うか。
ビビらせる為に、大き目の声を出すこととしよう。
っぇ・・・・・と、私が口を開くと同時に横から声がした。
「冷てぇーだろぉ!!!!!オヤジ!どけろよ!」
右横に座っていた、上品そうな女性が声を荒げる。
「え?あ?」どぎまぎするオジサン。
「あ?じゃねーだろ。お前の傘だろーが。」
「あ。どうも」
「どーしてくれるんだよ?」
「濡れた?」
やっぱり30代だろうか。
ベージュのコートでどちらかというと地味な顔立ちの女性が、混雑をもろともせず
(実際には、ここまで彼女が怒鳴るので、周囲は少し引いていた)、
ぐわぁっと立ち上がり、腰に手を添えてオジサンの顔を正面から見据えている。
「お前!なに、ためグチきいてんだ?足見ろよ。傘どけろって言ってんだよ!」
あ。とか、う。とかオジサンが言って傘をすぐどけられない意味がわかった。
立ちすくんだ彼女の左靴に傘の尖った金属の部品がひっかかっていた。
彼女の真新しいパンプスは雨のしずくを一手に引き受ける皿となっていたのだ。
そりゃ、怒るわ。
わざとじゃなければ、どう説明するんだ?
「どーすんだよ?誰が悪いんだ?人に迷惑をかけたら、どーすんだ?」
脱いだ靴を手に持って、中の水を空ける仕草をしながら、彼女が下から上へと視線を移動させ、オジサンを見射る。
うーん。すごいなー。完全に優位に立っている。視線で相手の戦意を喪失させようとしている。
ガンってのはこうやってやるんだ。
座って見上げる私には、迫力増量。4割増しに見える。
「すいませんでした。ごめんなさい!」
オジサンが謝る。
頭をひざにぶつけるんじゃないかって位にペコペコやってる。
さっきまでの威圧的な傘ズイズイをやってた奴と同一人物か?ってくらい。
ふんっつ
とひと息つくと、彼女がコートの裾を手で払って、また、前のように上品にちょこんと席についた。
すごいなー。彼女も「弱そうな相手」だったはずなのに。
人はみかけに依らないよなー。
私だって、あそこまで上には出られないよねー。
なんて、感心している間に電車が終点に着いた。
混雑した電車だったんで、オジサンは彼女の前から動けずにいたのだが、この終点でやっと、解放されたようだった。
乗客が降りる中、彼女が立ち上がるまでオジサンは彼女の前にずっと居たのだ。
「あの。」
オジサンが彼女を呼び止める。
重ねてのお詫び?
「大変、申しわけございませんでした」
また、大げさに身体を曲げて謝る。
そんなにするなら、わざっとで靴に傘突っ込まなければ良かったのに。
彼女はオジサンを見もしないでドアから降りていこうとする。
オジサンは息を吸い込んで、大きな声を出した。さっき「弱い相手」から脱っしようとした私のように。
「私の傘が、失礼なことしました!」
え?
皆さん、通勤客の皆さん!
聞きました?
耳に届きました?
ええ。
振り返っちゃいますよね?
wie bitt??
なんですとぉ?
そこの学生さん、肩叩きあって笑っていますが、そうですよね?
ここ、笑うところですよね?
肝心の彼女はくすりともせず、ぶ然と人ごみの中に消えていった。
オジサンは深々と頭を下げて、車両の中に残っていた。
悪い長傘を持って。
私の傘は、折りたたまれ、カバンの中で水を含んだまま、ただただ、重かった。
悪さができる傘が羨ましいだろうか?