ずっと黙ってきたこと | 写真で幸せになるためのブログ。by ふぉとすたなび広報部

ずっと黙ってきたこと

GACKT氏のブログ
「基金に疑問をもたれている方、読んでください」
http://bit.ly/gNTd2D

を読みました。

これを読んで、あることを思い出しました。


PGCが出版した本
「家族いっしょにいる幸せ」の制作にかかわっていたときのこと。

北海道から沖縄まで、
全国に散らばっていたわたしたち企画メンバーは、
日本中の家族から「家族のエピソード」を募集し、
それをもとに、全国の写真館で、
そのご家族の家族写真を撮影してもらい、
それを本に載せる、という企画を手がけていました。

そして、撮影した家族写真を、
ご家族の許可をとり、
いち早くブログに掲載していました。

とてもステキな写真が多かったし、
この幸せ感を、ネットを通じて世の中に発信したい、
と思っていたからです。

2年間の企画運営中、
メンバー全員、ボランティアでかかわってくれました。
みんな、写真館の仕事の合間をぬって、
細かな作業を進めてくれていました。


そんなとき、
ブログの「コメント」欄に、
あるひとことが投稿されているのを見つけました。


 偽善者


たった三文字、
こう書かれていました。


この投稿を見つけたとき、
衝撃を受けました。
というより、
瞬時にこう思いました。

「これは、ほかのメンバーには見せられない…」

手弁当で、
いっしょうけんめい動いているメンバーがこれを見たら、
なんと思うだろう…。

そして、この投稿を、すぐに消去しました。
ほかのメンバーが目にしていないことを祈りながら。


地震が起こって、
多くの人が何かしたいと思って、
それでもいろいろ空回りして、
うまくいかなくて…。

偽善だ、自己満足したいだけだろう…。

そんな言葉に傷ついて、
「自分ってダメなやつ…」と落ち込んだり。


わたし、思うんです。

偽善だって、いいじゃないか、と。

善意を本当に突き詰めていくと、
たぶん、多くが「自分の気持ちを満たしたいから」
という結果に行き着くような気がします。

わたしもそうです。

わたしは、ほかの人よりも、
他人に認められたい欲が大きい人間だと思います。
「いい人になりたい」といつも思っている。
だから、すぐにいろいろやりたがる。
そういう意味では、
確かに偽善者なのかもしれません。

だけど、偽善者でもいい。
少しでも、誰かの役に立つことができるのなら、
やろうと。
偽善者だと言われることに臆病になって、
勇気を出せない人になってしまうほうが、
わたしは怖いのです。

やりすぎたり、行き過ぎたりしたら、
誰かが「それ、違うよ」と言ってくれる。
そしたら「ごめん…やり直す」と謝ればいい。

自分の中の「何かしたい」熱まで、
消し去る必要はない、と思っています。


これからも、きっとやりすぎるんだろうなあ…。

それでもわたしは、
できることを、
やり続けたいと思っています。

いい写真ライフを音符