罪を背負わされた作詞作曲 | 今日もいい天気だといいな

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幼稚園年少のころからピアノを習い始め、小学校高学年になる頃にはピアノもかなり上達し、ソナタなどの中級練習曲も習い始めていた。

 

歌うことも好きだったので合唱クラブに所属していたが、顧問の先生が退職されることになり、ピアノ伴奏をする人がいなくなってしまったため、自分が後を引き継いでピアノ伴奏するほどであった。

 

音楽の成績は常にA。そんな自分に、ある日音楽の先生から「大事な話がある」と呼び出され、職員室へと向かった。

 

岡崎市では毎年、大掛かりな合唱発表会があって、地域の複数ある小学校の生徒の中から、音楽に秀でた者を選抜して作詞・作曲をさせ、それを全校生徒で盛大に歌い上げるという、一大イベントが開催されていた。

 

当校からは、自分がその「作詞・作曲」をする生徒として選ばれ、その打ち合わせのために呼ばれたのであった。

 

先生からは、作る曲のイメージを聞かれた。パッと思い浮かんだのは、広い野原に凛と咲く、美しい一本の花を愛でるという光景だった。

 

時間にして10分か15分くらいだったと思う。そんな短い時間に曲のイメージだけ聞かれ、すぐに「帰ってイイヨ」と言われてそのまま帰宅した。

 

それから数日たったが、先生からは何も音沙汰なく、「いつ作詞とか作曲とかするのかな?」と思いながら、先生からのコンタクトを待っていた。

 

何日か過ぎて、やっと先生から呼ばれた。いよいよ作曲の作業に取り掛かるのかな?と思いながら先生の元へ行くと、いきなり楽譜を渡された。

 

そこには、すでに書きあがった曲があり、タイトルと詞もついていた。

以下、その歌詞。

 

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タイトル『女王(クィーン)花』

 

朝もやに つつまれた 誰もいない野原

周りの花を 従えて咲く

美しい 一本のクィーン花

やさしさにひかれ 摘んでしまいそうな花

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二番もあるが、割愛する。

 

まさに、自分がイメージした風景がそのまま歌詞になり、しかも曲まで出来上がっていたのだった。そう、先生が勝手に作詞・作曲し、あたかも自分(私)が作ったかのように見せかけたわけだ。

 

あまりの出来事に、あっけに取られて言葉も出なかった。てっきり自分がちゃんと作詞・作曲するものだと思っていたのに、先生が勝手に作ってしまったのである。

 

たぶん、発表会まで時間があまりなかったのだろう。先生もイベントに間に合うようにいろいろ準備もしなければならなかったのかもしれない。

 

大人になった今なら、そういった「大人の事情」というものも分かるのだが、それでもやっていいことと、悪いことがあるはずだ。

 

結局、先生が作ったその曲を、自分が作ったということにして、発表会で合唱された。しかも、自分は作ってもいないのに舞台挨拶までさせられて、どういう気持ちで作曲したのかをしゃべらされるという、とんでもない茶番をすることになったのだった。これって、表向きは盗作になるよね?先生が作った曲を自分が作ったと言うのだから。

 

当然、親も周りの生徒たちも、自分が作詞・作曲したとばかり思っているのだから、誰もが「玲子ちゃん、すごいねー!!」「さすがー!!」「やっぱり才能あるね!!」と称賛の言葉を口にし、特に母親などは親戚中に電話で自慢する始末。

 

作っていない本人が一番よく真実を知っているのだが、とても本当のことを言える雰囲気ではなく、結局、誰にも言えないまま自分の心の中に閉まっておくことしか出来なかった。

 

みんなを騙してしまった、その罪悪感を、この後ずっと引きづっていくことになった。信頼していた先生に裏切られ、心を傷つけられ、本当なら持たなくてもよかったはずの罪悪感まで植え付けた、音楽の先生。

 

あなたのやったことは、教師としてやってはいけないことだったのですよ。管理教育の下で、教師も必死で追い詰められていたのだろうことは、今なら想像できるし理解もできる。

 

が、その結果、一人の生徒の心に大きな傷跡を残すことになったのだということ、わかっていたのかどうか、もし会えるならばぜひ聞きたいと思っている。

 

この時の発表会の内容がレコードになり、我が家ではしばらくの間、金メダルのように飾られていた。両親にしてみれば、自慢の娘だっただろう。

 

真実は、知らない方がいい時もある。