こんばんは、
長女のミカタ、となみなおこです。

今日は、大阪はグランフロントにて、
積水ハウスと「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」のコラボ展示、
「対話のある家」にいってきました。

終わったあとに友人たちと感想を話す中で、
気付いたことについて書き残しておこうと思います。

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ダイアログ・イン・ザ・ダークは何かというと、
サイトにはこのように書かれています。

* * * * * * *
ダイアログ・イン・ザ・ダークは、
暗闇のソーシャルエンターテインメントです。

参加者は完全に光を遮断した空間の中へ、
グループを組んで入り、
暗闇のエキスパートであるアテンド(視覚障害者)のサポートのもと、
中を探検し、様々なシーンを体験します。
その過程で視覚以外の様々な感覚の可能性と心地よさに気づき、
そしてコミュニケーションの大切さ、人のあたたかさを思い出します。

ダイアログ・イン・ザ・ダーク公式HP DIDとは?より)

* * * * * * *

完全に光を遮断した空間は、
決して目が慣れることがない暗闇。
いつまで目をこらしても、決して物を見ることができない空間。

入る前にそれを説明され、
なので、目で見ることはもうあきらめてしまってください音譜
って言われるんです。

そして、同行の6名と、視覚障がい者のガイドさんは、
「今日は家族です!」って言われます。

いくつかの怪我をしないためのマナー(ルール)の説明を受けて
実際に暗闇に入ると・・・

そこは、「家」でした。

普通に、玄関があって、靴を抜いであがると
和室があって・・・という家。

暗闇に入ってから、いろーーーんなことを感じました。

あれ?この人こんな声だったっけ?
完全に見えない視覚障がいの方は、毎日こういう世界なのか
空気が動くのがはっきりわかるなぁ
味覚がいつもよりはっきりしてるなぁ
畳のにおいは落ち着くなぁ
わー、この縁側、気持ちいぃ~っ
え~、ガイドのグッチーは、家の中を走ったよ!走れるのーー!?


などなど。

その中でね、とっても正直な参加者の一人が言いました。

この暗闇、ほんっとに目が慣れることはないんですか?
私、やっぱり頑張って見ようとしてしまうんです。
暗闇、怖い・・・


私は、暗闇は全然怖くなかったんです。
早々に「見ることはあきらめて」って言われてたし。

で、みんなで畳の上でゴロゴロしながら、
夏休みの計画を話していたときに、
鳴門のうずしおってすごいよねー、見飽きないよね~、って話になって、
突然、私ははっとしました。

視覚障がいの方々と一緒にいるのに、
見える景色の話をするのって悪いんじゃないのか!?


終わってからその話をしていたら、友人は言いました。

え・・・私全然そんなこと気付かなかった。
ただただ、そのときに気持ちが赴くままに話をしてた!



さてさて・・・
それぞれの発言。

客観的に評価しようと思えばできるんです。

見ようとしてしまう発言には、
え?暗闇に入るってわかってるのに、
見ようとするっておかしくない?
あきらめてって言われてたのにねー?


視覚障がいの方に悪いと思った発言には
急に障がいを持たない側から障がいを持つ人への憐み?
五感を解放する場だから、
もっと自分自身の感覚を味わうべきだったんじゃない?


そんなこと気付かなかった発言には、
いやいや、いろんな人がいるんだから、
発言には配慮しようよ。


なんてね。

長女さんは、ダメ出しがすっごく得意な人も多いので、
振り返ってみてのダメ出し、いくらでもできたりしますよね。
客観的な視点で評価しなおすのとか、すっごい得意です。

でもね・・・

その時、それぞれ発言した人は、
そう感じたんですよね。

私はやっぱり暗闇は怖い!

せっかく「家族」としているなら、みんなで共有できる話がいい!

畳で寝転がって五感を解放して、それを素直にオープンできてよかった!


これ、自分がそれを感じたのは事実。
それぞれの人には、それを感じた理由やら背景やらがある。
だから、そう感じた。
それを人がとやかく言うのはおかしくないか?と。

暗闇の中では、
言葉でのマメなコミュニケーションが必要
なのです。

だから、普段は口にしないことも、頭に浮かんだから口にする
ということがしやすい環境だったから
余計にわかりやすかったのかもしれません。

ふと日常を考えてみると、
自分がそれを感じること、思うことを
そのまま良しとできないこと

の方が当たり前かもしれない、と思うのです。

でも本当は・・・
その人なりの「そう思う理由」を大事にして、
そうか、あなたはそう感じるんだね

それだけのことではないかと思うのです。

視覚ありのやり取りの中でも、同じだと思うのです。

まぁ、内容と、場によっては
口に出すと不本意な受け止め方を
される場合などに
それを他人に向けて表現するのは思いとどまったとして、
人に言えないようなことが頭に浮かんだ自分を責めて、
その感情が浮かんだことを「なかったこと」にすること、
よくありますよね?

そんな場合を含め、
何より、
「私がそう感じたのね」をそのまま、
許してあげたらよいのではないかと思うのです。




暗闇は、
人からどう見えるかがない世界。

声を発するか、触れるかしないと、
相手が何をしているのかがわからない世界。

人にしてほしいことや
私がしようと思うことは口に出さないと
伝わらない世界。

自分が丸裸になるような、
いくらでも隠し通せるような、
不思議な感覚がありました。

でも、伝えようと思って言葉を発することは
すごく大切だと思ったので、
私は暗闇のコミュニケ―ションは好きでした。

今開催中の夏休みバージョンは8/4で終了。

またきっと秋に違うバージョンで開催されるでしょう。

とってもおすすめです。