こんばんは
長女のミカタ、となみなおこです。

今朝のNHKの「あさイチ」は
「置かれた場所で咲きなさい」
の著者でいらっしゃる、
ノートルダム清心学院理事長の
渡辺和子さん
がゲスト出演されました。

とても、分かりやすく、
「べきだ論でない」
考え方をお話される方でした。

私、こんなこともありますよ、と
フランクに話をされるので
学生が安心して話を聴くそうです。

私もキリスト教の教えが
身近にある環境で育ちましたので、
持つべき美しい心、
持ってはならない心、
というのはわかります。

例えば、
シスターもおっしゃってましたが、
疲れて帰ってきたときに
同僚が「おかえりなさい」の
一言も言ってくれない!
という事態があったそうですが、

そのとき、キリスト教的に
持つべき心は、
例えば、
相手が言わなくても、
私はあの人にはおかえりなさいと
言って労おう、などの
相手がどうであろうと
自分は正しいことを揺るぎなくする
という心。

持つべきてない心は、
例えば、
やられたから、
私も仕返しをしよう、
という許さない心。

でも、シスター渡辺も、
「ひどいわ、では
私も一回くらいは
おかえりなさいを言わないわ」
と思ってしまうことも
あるそうです。

でも、思っても、
相手には、
おかえりなさい、と言うのです、
と。
そうすると、
結局は自分のレベルは
下がらなかったことになる、
とおっしゃっていました。

この会話の中で、進行の
これまたフランクな有働さんは、
「相手が絶対自分に意地悪をしてるのが明らかな場合もありますよね、
仕返ししたいと思ってもいいのですか?」
というような問いをしていました。

有働さんも、
その感情は持たないほうがいいことは
わかってるけど、
そんな聖人みたいなこと出来ない、
相手に不快な想いを持っても許されるの?
って聴きたかったのだと思う。

シスターの答えは、
持ってもいいとは言えない、
という答えだったとは思います。

でも、有働さんの聴きたかったことは、
その感情が湧くことが
いけないかどうか
だったのだと思うのです。

キリスト教的には、
湧くのも罪は罪なのだと思う。

でも…

感情が湧くのは
コントロールできないのです。

今回の場合だったら、
疲れて帰ってきて
おかえりなさいの労いもなくて
寂しかったり、
悲しかったり、
しんどかったりした感情が
「なんでおかえりなさいを
言ってくれないの!?」
となってるわけです。

その感情を
相手に向かって表現するかどうかは
別のお話です。

ても、
感情が湧いたのは、
事実なんです。

湧いた感情を
無かったことにするのは
実はとても負担の大きいこと。
これが積もって、
長年の想いグセになるのです。

全部表現しなくていい。

でも、自分の中に感情が湧いたことは、
せめて自分だけは、
「こんな感情湧いたな」と
ちゃんと認識してあげること、
ほんっとに大事です!

他の人に言わなくてもいい。

湧いた感情、
自分だけは、そのまま、
受けとめてあげて下さい。

こんな感情が湧いたなぁ。

で、どうする?

って考えればOKなんです。

真面目な長女は、
そこがOKだと思わず、
自分を責める人も多いと
思います。


感情湧くのは仕方ない
ことですよー

自分が悲しかったり
傷ついたりしたって
ことですから。

だから、
まずは、
傷ついたよね
悲しかったよね
って、
抱きしめてあげましょうよ~!