NHK朝の連続テレビ小説「ごちそうさん」
土曜日に放送された中で、こんな言葉がありました。
「それがええとか、悪いとかやなくて
きつかったやろなって。」
幼なじみの源太が戦争から除隊されて戻ってきて以来ものが
食べられなくなってしまい、
主人公のめ以子がいろいろ工夫をしても受け付けずに衰弱していく。
診察をしたお医者さんから
「食べ物は命をいただくということだから
食べること自体がしんどいのではないか」
と言われ、め以子は、彼が人を殺したのではないかと思います。
め以子が「人を殺したんかなあ、げんちゃん?」
とつぶやくと、
夫の悠太郎は「そら、戦場ですからねぇ・・・」
とつぶやき返します。
それを受け止めて、め以子は
「それがええとか、悪いとかやなくて
きつかったやろなって。」
と言ったのでした。
最近、いろいろな勉強をして、いろいろな方とお話をしていますが、
これがね、ほんとに、なかなか向き合えない感情だと思うのです。
ドラマの設定では、第二次世界大戦のまっただなか。
ぜいたくは敵だ、
兵隊に行くのは名誉なことなので、おめでとう、
という価値観が日本全国に浸透させられていました。
戦争に行き、お国のために戦うということは、
敵の兵士を倒すこと。
人を殺した源太ですが、
彼が悪いことをしたかといったら、
そうではない、と言えるような理由は
たっぷりそろっているわけです。
でも、源太にとっては、
人を殺すことが「きつかった」
それは、実は、誰がなんと言おうと、
変えられない事実だったりするのです。
私たちの普段の生活の中でも、
そんなことは山ほどあります。
私も企業で働いていましたから、
「いまの会社の成長のために必要な人材」
でないと思う人には「どうぞお引き取りください」と
花道らしきものを用意して退職へ促す場面も多く見てきました。
トップが変わる度に方針が変わり、
昨日まで良いとされていたことが
今日突然「なんでそんなことするんだ!」と言われることとなり、
それに合わせてしなやかに方向転換をすることも
多く経験してきました。
悪いことではありません。
企業には企業存続のため、繁栄のためにするべきことがあるので、
そのために働いているのが従業員ですから、
企業には企業が必要とする人材がいるべきだと私も思いますし、
大きな視野で企業を見る立場としてやってくる新しい企業のトップが、
その責任でもって、自分のやり方を浸透させることも、
とても必要なことだと思います。
けれど、
それでとても心を痛めたり、
きつい思いをする人が必ずいるのも見てきました。
「あいつは弱いからな」
「デリケートすぎる」
「そんなんじゃ、ビジネスでは成功できない」
うん、その世界では言われるかもしれません。
けど、自分が本当に抱えられないもの、
いやだと思う感情(違和感と呼ぼうと思います)が
日増しに大きくなって、
自分の行動にも影響を及ぼすようなもの、
もしも、
自分がそういうものを持っているならば、
それは自分にとっては大きな負担です。
この負担が大きいと、どんな状況でも
自分自身がカラカラに乾いてしまい、
自分が余裕がないために、
どんなに頑張っても
自分も周りの人もハッピーにできない、
そんなスパイラルが生まれてしまいます。
頑張っても頑張っても人も嬉しくない、
自分も嬉しくない、という状況は
ほんと・・・しんどいです・・・。
いいんです。
たとえば、仕事で「え?」と思うことがあっても、
それを埋められるだけの意味が
他のところで感じられるなら。
感情をプラス・マイナスした結果、
人も自分も嬉しい頑張りができるなら。
でも、「ごちそうさん」のげんちゃんにとっては、
戦場で人を殺すということは、
きつすぎて、たとえば軍での名誉だの世間体だの、
皆も頑張っているから、だの(あくまでも想像ですが)、
そんなことでは越えられないきつい違和感でした。
生き続けるのを放棄したくなるほどに。
実は私自身も、会社を辞めるに至っては
いくつかの、私なりの大きな違和感を感じ、
そこで働き続ける理由をいくら考えても
それを越えることができなかったのです。
数ヶ月先の自分さえ、かすんで
想像できないような日々でした。
会社が求めているような働きはできていなかった自分を
感じて、とても苦しかったです。
その大きな違和感があったので、
それを感じる自分と向き合う必要があった、
ということです。
自分が何に違和感を感じたかについては、
人に説明しなければならないときもあると思いますが、
結果的に人が理解できるかどうかは、
実はあまり重要ではないのだと思います。
その違和感を感じる自分を、
自分がちゃんと受け止めてあげること。
受け止めて、これからの自分のために
いったいどうしたいかを決めること。
ここで決めたことは、
未来の自分が振り返ってみたときに、
大きな大きな英断だった!と感じることだと思います。
私自身は、違和感を受け止めて方向転換をしたことで、
今の私がいると思っています。
失敗もたくさんあるし、あちゃーと思うことも
悔しいことも日々起こります。
でも、今の私は、自分の足で立っていて、とても自由です。
良い方向に向かっているとわかっているので、
なんと、失敗もありがたいと感じられます。
(長女としてはとても大きな変化です!)
何より、感謝をいっぱい感じます。
自分がネガティブな想いを持っている
ということと向き合うことは
時にはとても勇気がいりますが、
ここを放置してしまうと、どんなに頑張っても
自分も周りの人も嬉しくないスパイラルを生みます。
「それがいいとか、悪いとかでなく
きついんだ、私には」
まずは、
この言葉を自分に言うのを許してあげると
新しい世界が開けるのではないかと、
私自身は感じています。
そして、自分のそんな感情と向き合った方々が
ちょっとほっとできる場を私が作れたらなと
思っております。
ちょっと向き合ってみたい想いがある方、
ぜひほっとしにワークショップにいらっしゃいませんか?
************
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「それがええとか、悪いとかやなくて
きつかったやろなって。」
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食べられなくなってしまい、
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食べること自体がしんどいのではないか」
と言われ、め以子は、彼が人を殺したのではないかと思います。
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とつぶやくと、
夫の悠太郎は「そら、戦場ですからねぇ・・・」
とつぶやき返します。
それを受け止めて、め以子は
「それがええとか、悪いとかやなくて
きつかったやろなって。」
と言ったのでした。
最近、いろいろな勉強をして、いろいろな方とお話をしていますが、
これがね、ほんとに、なかなか向き合えない感情だと思うのです。
ドラマの設定では、第二次世界大戦のまっただなか。
ぜいたくは敵だ、
兵隊に行くのは名誉なことなので、おめでとう、
という価値観が日本全国に浸透させられていました。
戦争に行き、お国のために戦うということは、
敵の兵士を倒すこと。
人を殺した源太ですが、
彼が悪いことをしたかといったら、
そうではない、と言えるような理由は
たっぷりそろっているわけです。
でも、源太にとっては、
人を殺すことが「きつかった」
それは、実は、誰がなんと言おうと、
変えられない事実だったりするのです。
私たちの普段の生活の中でも、
そんなことは山ほどあります。
私も企業で働いていましたから、
「いまの会社の成長のために必要な人材」
でないと思う人には「どうぞお引き取りください」と
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トップが変わる度に方針が変わり、
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今日突然「なんでそんなことするんだ!」と言われることとなり、
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多く経験してきました。
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企業には企業存続のため、繁栄のためにするべきことがあるので、
そのために働いているのが従業員ですから、
企業には企業が必要とする人材がいるべきだと私も思いますし、
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その責任でもって、自分のやり方を浸透させることも、
とても必要なことだと思います。
けれど、
それでとても心を痛めたり、
きつい思いをする人が必ずいるのも見てきました。
「あいつは弱いからな」
「デリケートすぎる」
「そんなんじゃ、ビジネスでは成功できない」
うん、その世界では言われるかもしれません。
けど、自分が本当に抱えられないもの、
いやだと思う感情(違和感と呼ぼうと思います)が
日増しに大きくなって、
自分の行動にも影響を及ぼすようなもの、
もしも、
自分がそういうものを持っているならば、
それは自分にとっては大きな負担です。
この負担が大きいと、どんな状況でも
自分自身がカラカラに乾いてしまい、
自分が余裕がないために、
どんなに頑張っても
自分も周りの人もハッピーにできない、
そんなスパイラルが生まれてしまいます。
頑張っても頑張っても人も嬉しくない、
自分も嬉しくない、という状況は
ほんと・・・しんどいです・・・。
いいんです。
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それを埋められるだけの意味が
他のところで感じられるなら。
感情をプラス・マイナスした結果、
人も自分も嬉しい頑張りができるなら。
でも、「ごちそうさん」のげんちゃんにとっては、
戦場で人を殺すということは、
きつすぎて、たとえば軍での名誉だの世間体だの、
皆も頑張っているから、だの(あくまでも想像ですが)、
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いくつかの、私なりの大きな違和感を感じ、
そこで働き続ける理由をいくら考えても
それを越えることができなかったのです。
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想像できないような日々でした。
会社が求めているような働きはできていなかった自分を
感じて、とても苦しかったです。
その大きな違和感があったので、
それを感じる自分と向き合う必要があった、
ということです。
自分が何に違和感を感じたかについては、
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結果的に人が理解できるかどうかは、
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私自身は、違和感を受け止めて方向転換をしたことで、
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でも、今の私は、自分の足で立っていて、とても自由です。
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なんと、失敗もありがたいと感じられます。
(長女としてはとても大きな変化です!)
何より、感謝をいっぱい感じます。
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ということと向き合うことは
時にはとても勇気がいりますが、
ここを放置してしまうと、どんなに頑張っても
自分も周りの人も嬉しくないスパイラルを生みます。
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きついんだ、私には」
まずは、
この言葉を自分に言うのを許してあげると
新しい世界が開けるのではないかと、
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