最近テレビのニュースで、国立市(くにたちし、東京都)で完成直前のマンションが突然建築を中止して取り壊すことになったという出来事があったことを知った。

 

JR中央線の国立駅で降りると、南口の正面は南に広い一直線の通りで、一橋大学や高校があり、春は桜の名所で知られている。また南東と南西の方にも直線の道路が通じていて、南西の方は富士見通りといって道路の奥(正面)に富士山の姿が見えることが知られている。

 

ニュースになったマンションはこの通りの奥の右手に建っているが、テレビの画面ではそのために富士山の右半分が見えなくなっている。このマンションを建てるにあたっては、おそらくこうしたことのために住民の反対があったようだが、法律にも市の条例にも違反していないので反対を押し切ってこれまで建設が進められてきたらしい。

 

ところが突然計画を中止すれば会社の損害や入居予定者の迷惑が相当に大きいだろうに、なぜ中止なのか。その本当の理由は? その後のニュースがあったのかどうか分からないが、東京(江戸)では富士山が見えるということが人々の大きな喜びであり、価値があることを改めて感じさせてくれる出来事だった。

 

台地の山手と低地の下町が複雑に入り組も東京の中心部(23区)は、あちこちに富士山を眺められる場所があり、住民の喜びであったのだろう。今でも富士見町・富士見通り・富士見坂と「富士見」のつく地名があちこちに見られる。

 

私の住んでいる東村山市は都の中心部よりは西に位置するが、富士見町がある。私が今の家に住み始めたころには2階から富士山が眺められた。しかし周囲に2階建ての家が増えた結果いつからか富士山が見えなくなってしまった。だが、市の一部である都民の水甕―多摩湖(村山貯水池)まで行けば、いつでも西の湖岸の森の上に富士山の姿を眺めることができる。

 

江戸時代の人たちが、江戸の町からの富士山の眺めを喜んだことは、広重や北斎の版画を見れば分かることだが、その喜びは明治・大正・昭和と引き継がれてきた。しかしその後ビルやマンションが乱立するにつれて名前だけになりつつあるのが現状だろう。

 

その一例をあげるならば、富士見坂で知られたJR西日暮里駅近くの坂道が、正面の遠くに建ったビルかマンションのために富士山が全く見えなくなってしまった。坂の上にある荒川区の説明板に「都内各地に残る「富士見」を冠する地名のなかで、現在でも富士山を望むことができる坂である。」と書いてある横に、「都心にいくつかある富士見坂のうち、最近まで地上から富士山が見える坂でした。「関東の富士見百景」にも選ばれています。」と書いた紙が貼ってあった。富士の眺めを楽しんだ住民の無念の思いが伝わってくるようだった。

 

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ところで永井荷風は東京散歩『日和下駄』で、最後の章を「夕陽(せきよう) 附富士眺望」と題して、東京のあちこちからの富士山の眺めを大いに楽しんでいる。その一端を紹介しよう。

 

「東京における夕陽の美は若葉の五、六月と、晩秋の十月、十一月の間を以て第一とする。山の手は庭に垣根に到る処新樹の緑滴らんとするその木立の間より夕陽の空紅に染出されたる美しさは、下町の河添には見られぬ景色である。山の手のその中でも殊に木立深く鬱蒼とした処といえば、自ら神社仏閣の境内を択ばなければならぬ。」(岩波文庫 p.98-99)

 

「ここに夕陽の美と共に合せて語るべきは、市中より見る富士山の遠景である。夕日に対する西向きの街からは大抵富士山のみならずその麓に連る箱根大山秩父の山脈までを望み得る。青山一帯の街は今なお最もよくこの眺望に適した処で、その他九段坂上の富士見町通、神田駿河台、牛込寺町辺も同様である。

関西の都会からは見たくも富士は見えない。ここにおいて江戸児は水道の水と合せて富士の眺望を東都の誇となした。」(p.99)

 

「神田聖堂の門前を過ぎて、お茶の水に臨む往来の最も高き処に佇んで西の方を望めば、左には対岸の土手を越して九段の高台、右には造兵廠の樹木と並んで牛込市ヶ谷辺の木立を見る。その間を流れる神田川は水道橋より牛込揚場辺の河岸まで、遠いその眺望のはずれに、われらは常に富嶽とその麓の連山を見る光景、全く名所絵と異る所がない。しかして富嶽の眺望の最も美しきはやはり浮世絵の色彩に似て、初夏晩秋の夕陽に照されて雲と霞は五色に輝き山は紫に空は紅に染め尽される折である。」(p.100)

 

「東京の東京らしきは富士を望み得る所にある。われらは徒に議員選挙に奔走する事を以てのみ国民の義務とは思わない。われらの意味する愛国主義は、郷土の美を永遠に保護し、国語の純化洗練に力むる事を以て第一の義務なりと考うるのである。今や東京市の光景全く破壊せられんとしつつあるの時、われらは世人のこの首都と富嶽との関係を軽視せざらん事を希うて止まない。」(p.101)

 

たまたま昨日は小池現東京都知事の都知事選への出馬表明がテレビで報じられた。今回の立候補予定者は40名前後にも及ぶという。信じられないことだが、大変なお金を使う選挙で、はたして東京は良くなるのだろうか。またカスハラなどといったカタカナ語やカタカナ英語が巷に氾濫して、ついていけない人たちが殖えつつある時、荷風の「われらは徒に議員選挙に奔走する事を以てのみ国民の義務とは思わない。われらの意味する愛国主義は、郷土の美を永遠に保護し、国語の純化洗練に力むる事を以て第一の義務なりと考うるのである。」という指摘に耳を傾けたいと思うのである。

 

東京の中心部(23区)の地上から富士山が見える場所がはたして今もあるのだろうか。残念ながら私は知らないので、もし見つかったらこのブログで報告しようと思う。

 

 

 

(写真はいずれも西武池袋線東久留米駅からで、下は冬の日没直後の眺め。

この通りも富士見通りという。)

 

 

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