わが家の近くに “万年橋のケヤキ” という巨樹が立っています。野火止用水に架かる万年橋のすぐそばに聳えており、すぐ傍にはもう一本の大きなケヤキも立っています。

 

 その大きさ、太さ、樹の肌、笹が這い登っている様子など、いかにも巨樹・古木の風格を備えています(市指定天然記念物)。根元に馬頭観音の石仏が祀られているのはこの辺りがまだ農村だった頃の名残りでしょう。

 

 ここ武蔵野では街道や屋敷にはケヤキが植えられていることが多いので、この “万年橋のケヤキ” よりも古く、大きな樹はいくらでもあるのですが、この樹はちょっと珍しいのです。

 

 

 

 

 

 この巨樹の根元をみると用水が樹の下をトンネルのように流れています。用水を造った時に既に巨樹で動かすことも出来ず下を掘ったとか、用水の岸に植えた樹が大きくなって橋を伝って根を伸ばし反対の岸まで届いたのではといった話がありますが、真相は不明です。

 

 この水の流れは野火止用水と言って、徳川3代将軍家光の時老中を務めた川越藩主松平信綱が、所領だった野火止新田(埼玉県新座市)の飲料水確保のために玉川上水の水を分水して作った用水堀でした。17世紀半ばのことで、だから伊豆殿堀とも言います。この地にある平林寺には信綱の墓があります。なお玉川上水は江戸の飲料水確保のために多摩川の水を運ぶ有名な用水堀です。

 

 野火止用水の両岸には大きな樹木が列をなして植えられています。倒木の危険がある樹が近年次々と伐り倒されていますが、この万年橋のケヤキもおそらく用水を造った時に植えられたと思うのです。約400年前のことです。

 

 すぐ上の写真は万年橋から800mほど上流でみつけたものです。まだ若い樹ですが根が空中を伸びて再び地中に入っている様子が分かります。場合によっては狭い堀をまたいで根を伸ばすことも決して不可能ではないと思ったのでした。ましてすぐ傍に橋があればそれを伝って根を伸ばすのは十分考えられます。“万年橋のケヤキ” の不思議はこれで解決ではと考えるのですが、どうでしょうか。