上の写真は前回の藪の中の三尊像のある東小(地名)の集落の眺め、そこの寺跡にあるのが首切り地蔵と阿弥陀如来像です。大きな岩に彫った磨崖仏ではないが藪の中の三尊像と同じ1262 弘長2年の銘があり、在銘のものでは最古となる。こういう小型の石仏も作られていたことが分かる。

 

 

 

 

 

 

 里道を西北にさらに進むと大門(地名)の石仏群がある。近くには大きな鎌倉時代の五輪塔も建っている(写真)。この石仏は周辺に散在していたのを集落の人たちが集めたそうだ。おそらく江戸時代のものかと思うがどうだろう。

 

 

 

 

 

 

 さらに里道を進むと右手の谷の底近くに大きな石仏を眺めることができる。おそらく昔の道は石仏の前を通って沢を詰めて大門の集落に通じていたのだろう。急な崖を降りて谷底から石仏に至る。

 

 阿弥陀如来像とも弥勒如来像ともいわれ、制作年代も奈良時代とも平安時代ともいわれているそうだ。当尾の石仏では最古最大となる。やや平面的だがゆったりとしたおおらかな像の姿がいかにも古代の石仏を感じさせてくれる。

 

 

 

 

 

 

 最後は浄瑠璃寺の近くに戻って阿弥陀如来像を見る。巨大な笠石を持つ珍しい磨崖仏で1307 徳治2年の銘がある。斜めに割れ目が走っているが心配はなさそうだ。やや彫りが浅いように思う。

 

 これで石仏が集中する核心部分を歩いたことになるが、北方の集落にはまだいくつもの鎌倉・室町時代の石の仏たちがあるようだ。

 

 これらの仏たちは記録もなく、銘文も一部に限られているので造られた事情はほとんど不明だが、仏像の種類からして現世・来世の救いを願ったものであり、願主も「岩船寺僧」「僧行乗」などとあることから僧侶が多かったかと思われる。しかしそれらの石仏が里の辻のようなところに位置しているは、願いを里の人たちと共有しようという思いの表れともいえるだろうか。鎌倉・室町時代は戦乱や災害で僧も武士も庶民も常に死と隣り合わせに生きていたのであろうから。(終り)