有名観光地の一つとして知られる倉敷(岡山県)、4月末に訪ねた時にはコロナの影響か人影が少なく静かな町になっていた。久しぶりに訪ねた私には大変うれしい雰囲気だったが、観光に関係する人たちには大変厳しい日々だろうと思った。

 

 倉敷は豊臣秀吉が天下を統一したころに宇喜多秀家によって新田開発が行なわれ、高梁川河口の玉島はその後備中松山藩の港として上方(かみがた、大坂方面)への物資の輸送中継地となった。江戸時代の1642年に天領(幕府直轄地)となって陣屋がおかれると地主・豪商が軒を連ねるようになり大いに発展して、18世紀後期には人口が2倍となって立派な町並みが形成されたという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 川と並行する本町通りは人々が行きかった昔の往還で、写真のような白壁に一部なまこ壁の商家が並んでいる。そのほとんどが柱を隠した大壁造りで、平瓦を縦または斜めに並べて目地を漆喰で固めたいわゆるなまこ壁で縁取っている。屋根は2種類の瓦で葺く本瓦葺きで平入り(横向き)が多いがところどころに妻入り(縦向き)の家があって通りに変化がある。中にはウダツ(隣家との境に造った小壁)のある家もあるがこれは少ない。

 

 全体として2階は高さがあり四角い格子窓が付いているが、宿場町などの低い2階に横長の格子窓といった眺めと比べると全体的にゆったりと開放的な感じとなり、屋根の高さがほぼそろっているのも眺めに統一感を与えているようだ。中には写真のように昔そのままの看板もあるが、うれしいのはほとんどの家が商売をしていることで、このすてきな通りが博物館ではなくて売る人買う人たちの息遣いが感じられるような通りになっていることだ。写真はコロナと雨のためにたまたま人影がないが、観光地らしい賑わいが復活するのもそう遠くはないだろう。

 

 

 

 

 

 本町通りの中ほどに建つのが写真の井上家住宅(国重要文化財)。現在解体保存工事中なので家の前にある説明板の写真で紹介すると、今回の工事で1721 享保 6年に上棟した建物と判明した大型の民家で300年の風雪に耐えたことになる。井上家は倉敷が発展を始めた当初から中心となった家の一つで、建物が白壁の大壁造り、四角い窓、本瓦葺きなのは通りの他の家と共通するが大きさや家の印象が他の家とはだいぶ異なっている。

 

 先の昔の看板のある楠戸家は1869 明治 2年の創業で今も呉服屋をしているが、この建物はおそらく明治時代に建てられたものだろう。この町並みが重要伝統的建造物群保存地区いわゆる町並み保存地区に指定されたのは1979 昭和54年、追加が1998 平成10年である。保存地区に指定される際には通りの今の建物がいつ頃のものか当然調査されたのだろうが、私の考えでは今の本町通りの景観がつくられたのは江戸時代の末、19世紀以降と思うのだが、どうだろうか。