佐伯祐三(1898~1928)が東京下落合にアトリエを建てたのは1921 大正10年である。南向きの崖が東西に続き、いくつもの小さな谷が崖を刻む土地の崖の上に位置していた。緑の豊かな農村風景が急速に住宅地化していった時期であった。

 

 1923 大正12年から1926年まで佐伯は家族とともにフランスに渡って多くの作品を制作し、1927 昭和 2年には再渡仏して制作に集中したが病気が悪化して翌年の 8月に亡くなった。同じ月には一人娘も亡くなり、夫人は2人の遺骨とともに悲しい帰国をしたのだった。

 

 画家佐伯祐三というとこの滞仏中の数々の作品がすぐに思い出される。

 

 しかし2度のフランス行きの間の1年余、写真のアトリエや落合のあちこちで制作に集中して30~40の作品を遺していることはあまり知られていないかもしれない。

 

 アトリエには2階建ての住宅が接して建っており、米子未亡人が1972 昭和47年に亡くなるまで住んでいたが、翌年新宿区が土地・建物を購入してアトリエだけを遺して公園とした。私が初めて訪ねたのはこの時期だったが、ポツンと建っているアトリエを見てなんとか手入れして公開できないかと思った。

 

 その思いが通じたのかアトリエを整備し、付属の施設も造って 「佐伯祐三アトリエ記念館」 が開館したのは2010 平成22年である。

 

 久しぶりに記念館を訪ねた。

 北側に大きな採光窓を持ったアトリエの内部はいささかきれいになりすぎているが、写真だが大きな絵は下落合でのテニス風景である。記念館には複製や写真ではあるが佐伯の下落合風景の作品が集中的に展示されていた。

 

 石やレンガで作られたパリの建物や街角のもつ重量感、直線的な形とはおよそ異質な日本の建物や風景に佐伯はどのような思いで取り組んだのだろうか。健康がすぐれないにもかかわらず、急ぐように再度フランスに渡って制作に集中したことに彼の思いをうかがうことが出来ると私は思う。

 

 しかし佐伯の遺した下落合風景の数々は、農村から住宅地へと急速に変っていく東京近郊の貴重な記録とも言えよう。

 

 

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