みほとけの あごとひぢとに あまでらの  あさのひかりの ともしきろかも
                               中宮寺にて  秋艸道人


 

 歌集 『鹿鳴集』 の 「南京新唱」 中の一首で、2010 平成22年11月に奈良の中宮寺に建立された歌碑とまったく同じである。この歌碑は、新潟市の旧會津八一記念館のすぐ前の西海岸公園を左手に数分のところに建っている。同じ公園には 「みゆきつむ まつのはやしを つたひきて  まどにさやけき やまがらのこゑ」 の歌碑もある。

 歌碑は2011年7月に除幕されたが、建立の経緯について 『秋艸会報』 No.32 が 「姉妹歌碑は、中宮寺歌碑を作製する際、試作品を作った飛鳥建設・左野勝司社長のご好意で、試作歌碑を新潟に運搬・寄贈いただいたもの」 と報じている。
 
 中宮寺の歌碑についてはすでに 「會津八一の歌碑 奈良」 で紹介したが、歌碑の試作品を作るという話はあまり聞いたことがない。石材もその大きさも中宮寺のものと同じようなので、完成品との違いはないのかと比べてみると碑の裏面の文章に若干の相違があることが分かった。

 <新潟の碑>
 平城遷都千三百年を機に、新潟県にお出ましいただいた中宮寺御本尊如意輪観世音菩薩は、度重なる災害で傷ついた県民の心を慰めてくださいました。御仏の微笑に触れ勇気づけられた人たちは十三万人余にのぼりました。ここに全国有縁の方々とともに、感謝の真心を込めて御本尊を詠じた秋艸道人會津八一先生の歌碑を建立し、久遠の慈悲を讃仰する聖地といたします。/平成二十二年十一月二十九日/中宮寺會津八一歌碑建立の会/新潟市會津八一記念館館長 神林恒道 撰


 <奈良の碑> 
 平城遷都千三百年記念 「奈良の古寺と仏像・會津八一のうたにのせて」 新潟展にお出ましいただいた中宮寺御本尊如意輪観世音菩薩は、度重なる災害で傷ついた新潟県民の心を慰めてくださり、御仏の微笑に多くの人々が勇気づけられました。ここに全国有縁の方々とともに、感謝の真心を込めて御本尊を詠じた秋艸道人會津八一先生の歌碑を建立し、御仏の久遠の慈悲を讃仰する聖地といたします。/平成二十二年十一月二十九日/中宮寺會津八一歌碑建立の会/日本経済新聞社 新潟日報社 BSN新潟放送/新潟市會津八一記念館館長 神林恒道 撰文

 文章の字句に若干の相違はあるが、大きい違いは三つの会社名の有無といえる。試作歌碑の後に完成歌碑が作られた事情が透けて見えてくるように思うがどうだろうか。

 歌碑の傍にある説明板には 「建立趣旨」 として次のように書かれている。
 「會津八一が中宮寺のご本尊・菩薩半跏像を詠んだ歌の碑は2010年(平成22)11月29日に中宮寺本堂正面に建立された。その姉妹歌碑が中宮寺・日野西光尊ご門跡と飛鳥建設・左野勝司氏とのご好意で、會津八一記念館に寄贈された。八一が若き日と晩年に逍遥したこの松林に建立し、奈良と新潟の文化的な縁の象徴とする。」

 會津八一の歌碑はその大半が建つ場所にゆかりのある歌が選ばれてきた。特に新潟に建つ歌碑はそのすべてがそうなので、この歌碑は新潟に建つ會津八一の歌碑の中では異質な存在といえよう。

 

  他の歌碑 → クリック →