地図を見るとローマとフィレンツェの中ほどにペルージャという町がある。若い頃この町に留学していた須賀敦子さんが友人に誘われて山道を辿って中世のままのような町を訪ねた時のこと、歓待してくれたその家のご主人が家族にもめったに出してくれない古いチーズをご馳走してくれた話 「七年目のチーズ」 は、「自分は、あの八月の夜、暗い電燈の下の食卓で出会ったウジ虫チーズやみんなの笑い声に誘われて、この国から離れられなくなったのかもしれないと、思いめぐらすことがあった」 と結ばれている。

 

 貴重なチーズが小さなウジ虫だらけで食べるのに勇気がいった思い出がまるで昨日の出来事を話しかけるように語られる、いや、書かれている文章に、ああ須賀敦子さんだなと思ってしまう。実は40年も前のことなのに。

 

 「霧のむこうに住みたい」 も同じくペルージャからマイクロバスを借りて著者をはじめ貧乏な若者たちが山のむこうの小さな町を訪ねた時の話。もう少しで目的地という霧の出た峠の店で休んだ時の心に残る印象が語られている。

 

 その店は小さな立ち飲みのカフェで、数人の日に焼けた男が黙々とワインを飲んでいた。バスに戻る途中、峠を振り返ると 「霧の流れるむこうに石造りの小屋がぽつんと残されている。自分が死んだとき、こんな景色のなかにひとり立ってるかもしれない。ふと、そんな気がした。そこで待っていると、だれかが迎えに来てくれる。」 「途中、立ち寄っただけの、霧の流れる峠は忘れられない。心に残る荒れた風景のなかに、ときどき帰って住んでみるのも、わるくない。」

 

 ペルージャの近くにはよく知られたアッシジがある。この辺りの古い町はいずれも丘のような山の上にあり城壁に囲まれている。麓で車を降りてアッシジの町に向かうとまず見えてくるのが壮大な修道院。「アッシジに住みたい」 で著者は 「何度行っても、平野からあの大修道院を眺めると、ああ、アッシジだと思って、心がふくらんだ」 と書いているが、そのすぐ後には 「フランチェスコが死ぬと、修道士たちは莫大な財産を築きあげ、大修道院は、いわばその 「堕落」 の象徴といえるかもしれない。でも彼らの 「堕落」 のおかげで、私たちは、かけがえのないジョットの壁画をはじめ、すばらしい街並まで楽しめるのだから、不平はいえない」 と、清貧に徹した聖フランチェスコと没後の教団のありようにさりげなく触れながらジョットらの絵画に話題を転じます。

 

 ただひたすら坐禅を(只管打坐)と言った道元と没後の曹洞宗の教団、屍は犬にと言ってすべてを捨て去った一遍とその後の時宗教団、洋の東西を問わない同じような宗教史の大きな問題についてさりげなく触れながら話題はアッシジの町の背後の城址からの眺めに移って行った。

 

 「陽が落ちはじめると、アッシジの建物という建物は、すべて薔薇色に燦めく。あれは、ゴシック様式のサンタ・キアラ教会、こちらは古代ローマ時代からのサンタ・マリア・ミネルヴァ教会と、私たちは指さしながら、街ぜんたいが夕陽に燃えるのを見た。」 「私は、そしてたぶん、フランスの友人も、ああ、アッシジに住みたいと思って、ものもいわずに、ただ、見ていた。」

 

 私は残念ながらこの城址からの眺めは体験していないが、あの薄いピンクの石でつくられた建物に囲まれた広場からの麓の眺め、オリーブの葉がその白い裏を見せながら風に揺られていたのをつい昨日のことのように思い出したのだった。

 

 見たり、聞いたり、感じたりしたことをそのまま文字であらわすことがいかに至難なことかは誰もが経験することではないだろうか。須賀さんのエッセイの魅力はそれを感じさせない、まるで目の前にいる彼女から話を聞いているような気分になることにあるように感じる。40年前のことが昨日の出来事ように、イタリア人もフランス人も日本人も、そんな区別はなくみな人として、仲間としてつきあう生活が当り前の世界をみせてくれる。

 

 この本に集められた文章は雑誌や新聞に発表された短いエッセイで、いずれも1990年代に書かれたもの。著者は1998年に亡くなっているから晩年に書かれたもので、おそらく最後のエッセイ集かと思われる。(河出書房新社、2003年)

 

 

 

 

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