有名なと言ってもまだ知らない人の方が多いだろうが五日市憲法草案発見の地を訪ねた。JR武蔵五日市駅から 4km 弱、小さな谷の最後の集落-深沢にある土蔵から1968 昭和43年に草案は発見された。ちょうど明治100年にあたる年の夏に崩れかけた土蔵からさまざまな貴重な文書と一緒に発見されてはじめて世にでた。

 

 まだ明治の憲法-大日本帝国憲法が出来る前の1881年、明治14年に五日市の人たちが自発的に学習会(五日市学芸講談会)を何回もやって勉強した成果を千葉卓三郎が代表してまとめたものである。千葉は宮城県出身で当時五日市で小学校の先生をしていた。

 

 この憲法草案は、内容が充実しており(全204条)草案作成の経緯が分かる、そして何よりも条文に見られる 「憲法は国家権力にたいする国民の人権保障にある」 とする考え、といった点で極めて注目された。

 

 深沢家の土蔵はきれいに修復されて保存されている(東京都指定史跡、写真)。すぐそばにある墓地には憲法草案作成時の当主深沢名生(なおまる)と子供権八の墓がある。この父子は最も熱心に学習会活動に参加し、千葉を支えたことで知られている。右の墓石の文字が 「権八深沢氏墓」 で、Mr. Gonpati Hukazawa となっているのに時代が感じられる。

 

 この憲法草案を記念して1979 昭和54年に千葉の生地と墓のある宮城県志波姫町と仙台市および五日市町(現あきる野市)3か所に記念碑が建てられた。写真の記念碑は五日市中学校にあり、憲法草案から 6か条が抜粋されている。副碑には記念碑建立の経緯と学芸講談会参加者名が記されている。

 

 この憲法草案は毎年あきる野市で公開されているが、実物を見て驚いた。白い紙に一字一字丁寧に書いた草案がまるで最近書いたようにきれいなのだ。丁寧に包まれて他の資料の下積みならないで土蔵に保管されていたからだろうとの説明だが、140年も前に五日市に集まった人たちの努力の結晶を目の前にして感動した。 

 

 この憲法草案についてはもっと多くに人に知ってもらいたいと思う。憲法改正が大きな問題となっている今、明治以後の歴史に学ぶ必要が政治家をはじめ国民一人一人に問いかけられているのではないかと自戒の念をもちながら深く思う。 

 

  <参考> 『五日市憲法』 新井勝紘 岩波新書 2018年4月